• 2020年7月12日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き3章1節~6節】
    3:1 ペテロとヨハネは、午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。
    3:2 すると、生まれつき足の不自由な人が運ばれて来た。この人は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」と呼ばれる宮の門に置いてもらっていた。
    3:3 彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。
    3:4 ペテロは、ヨハネとともにその人を見つめて、「私たちを見なさい」と言った。
    3:5 彼は何かもらえると期待して、二人に目を注いだ。
    3:6 すると、ペテロは言った。「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」

    ◎メッセージ【美しの門において】
    《ペンテコステの日に、ペテロのメッセージによって、3,000人の兄弟が救われ、教会に加えられました。すでにヨハネ・マルコの家にはエルサレム教会が形成されていました。そこには12使徒を筆頭に、120名の兄弟たちと、主の母マリヤと主の兄弟姉妹と、マグダラのマリヤを始め、主に付き従って来た女たちが集まっていたのです。
     さて、新たに3,000人が加えられましたが、このような多人数が一同に集まる建物もありませんので、使徒たちは、彼らを神殿に集めたのです。
     ユダヤ人は、朝9時、昼12時、そして午後3時の三回にわたって、宮で祈りを捧げ巡礼することが一般的でした。ペテロとヨハネは、午後3時に宮に上って行きました。それは、宮に集まっている新しい兄弟たちを教え、また祈りを指導する為です。
     さて、なぜこの二人が宮に上って行ったのでしょうか。それは偶然ではありません。主イエスが、12使徒を二人ずつ6チームに分けた組み分けが、そのまま保たれていたからです。主イエスは、過越の食事の準備に二人人の弟子を遣わします。
    ルカの福音書によりますと、
    『イエスは、「過越の食事ができるように、行って用意をしなさい」と言って、ペテロとヨハネを遣わされた。(ルカの福音書22:8)』と書き記されています。
     また使徒の働きにおいては、
    『彼らは町に入ると、泊まっている屋上の部屋に上がった。この人たちは、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。(使徒の働き1:13)』と書かれ、かつては、「ヤコブの子ユダ」が「イスカリオテのユダ」とチームを組んでいたことが分かります。
     さて、その二人が「異邦人の庭」にやって来ます。異邦人は、そこまでしか入れません。その次にある庭が婦人の庭となります。ユダヤ人の婦人はここまで入れます。
    「美しの門」とは、ヘロデの建設したエルサレム神殿の東側の「異邦人の庭」からさらに内側の「婦人の庭」に通じている門のことです。
     そこに「生まれつき足のきかない人」が運ばれて来ました。巡礼する人々から施しを受ける為にです。おそらく二人もしくは四人によって、担架のようなものに乗せられ、運ばれて来たと思われます。
     私は、この時のペテロとヨハネは、屋根が剥がされて中風の人が吊り降ろされて来た場面を思い起こしたのではないかと考えています。
     その人は、ペテロとヨハネの二人を見て施しを求めました。ペテロは、ヨハネと共にその人を見つめます。
    「私たちを見なさい」
     彼は何かもらえるかと期待して、二人に目を注ぎます。するとペテロは言います。
    「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。」
     ペンテコステ以後、使徒たちを通して聖霊によって、著しいしるしや奇跡が行なわれていました。それは彼らが、主の言われた教えをしっかりと握っていたからです。
    『「まことに、まことに、あなたがたに言います。私を信じる者は、私が行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。私が父のもとに行くからです。
     また私は、あなたがたが私の名によって求めることは、何でもそれをしてあげます。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、私の名によって何かを私に求めるなら、私がそれをしてあげます。」(ヨハネの福音書14章12節~14節)』
     彼は今まで人間扱いされて来ませんでした。彼は物でした。それゆえ置かれたのです。またいつも罪を責め立てられ続けてきました。
     しかしこの時、主イエスは、その御名によってペテロとヨハネを通していやしを行なおうとされたのです。歩けないと言う不自由さはもちろん、また彼の心の傷とセルフイメージさえもいやそうとされました。いやしは全人格に及ぶのです。
    「ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」》

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