◎本日の聖書箇所【使徒の働き4章8節~14節】
4:8 そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「民の指導者たち、ならびに長老の方々。
4:9 私たちが今日取り調べを受けているのが、一人の病人に対する良いわざと、その人が何によって癒やされたのかということのためなら、
4:10 皆さんも、またイスラエルのすべての民も、知っていただきたい。この人が治ってあなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの名によることです。
4:11 『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石、それが要の石となった』というのは、この方のことです。
4:12 この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」
4:13 彼らはペテロとヨハネの大胆さを見、また二人が無学な普通の人であるのを知って驚いた。また、二人がイエスとともにいたのだということも分かってきた。
4:14 そして、癒やされた人が二人と一緒に立っているのを見ては、返すことばもなかった。
◎メッセージ【知っていただきたい】
《かつて主イエスが、たった一人で立たされた最高法院の弁明席に、今度はペテロとヨハネが立たされています。また「美しの門」に置かれていた物乞いの青年も共にいます。大祭司カヤパは尋問します。
「お前たちは何の権威によって、また誰の名によってあのようなことをしたのか。」
主の約束通り、ペテロは聖霊に満たされ、聖霊はペテロを通して語り始めます。
「民の指導者たち、ならびに長老の方々。私たちが今日取り調べを受けているのが、一人の病人に対する良いわざと、その人が何によって癒やされたのかということのためなら、皆さんも、またイスラエルのすべての民も、知っていただきたい。」と。
マタイは、「この方はナザレのイエスと呼ばれる」と書き記していますが、実はこの呼び名は、軽蔑と皮肉を込めた呼び名なのです。
「この人が治ってあなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの名によることです。」
ゲッセマネにおいて、祭司長や祭司と民の長老たちが、ローマ兵一大隊を率いてご自身を捕らえに来た時、主イエスは「だれを捜しているのか」と聞かれました。
彼らの答えは、「ナザレ人イエスを」です。主は「私がそれだ」と言われた時、全員が神の力によって、後ろに倒されたのです。
そしてもっと決定的なことは、ピラトが書いた罪状書きです。それには、はっきりとヘブル語、ギリシャ語、ラテン語で「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス」と書かれました。
ここからも分かりますように、ナザレのイエス、この名前こそが、人類のメシヤの名前なのです。ユダヤ人の指導者たちが軽蔑した名前こそが、父なる神様が人間に与えられた唯一の救い主の名前なのです。
さらにシモン・ペテロは、詩篇118篇を引用して説明しています。
『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石、それが要の石となった』
家とは第二神殿のことです。土台を建設していた時のことです。かなり大きな石が切り出されて来ましたが、それはどこにも当てはめることが出来ず、しばらく放置されていました。しかし神殿の基礎部分における一番最後の四隅の一つの角に、両側に渡ってはめ込む石がなかなか見つからなかったのです。そこで試しに、捨ててあった石をはめ込みますと、何とぴったり収まったと言うわけです。ペテロは続けます。
「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」と。
私たちが救われるべき名は、ヤーヴェではなく、イエスなのです。
主イエスはゲッセマネに行く前に、父なる神に愛する弟子たちの為に祈られました。
「私は彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。あなたが私を愛して下さった愛が彼らのうちにあり、私も彼らのうちにいるようにする為です。」と。
特に、「私は彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。」と言う部分に注目して欲しいのです。主は「知らせました」と過去形で言われてますが、「これからも知らせます」とは、現在進行形が用いられています。
ここからも分かりますように、最高法院が軽蔑した呼び名、ナザレのイエス、あるいは、イエス・キリストが、神様の名前であり、創造主なるお方なのです。私たちは、この御名にもっともっと信頼すべきです。
そのことを「知っていただきたい」とペテロは強く願い出ます。そして多くのクリスチャンにも知っていただきたいのです。この唯一の救い主の御名を用いて、祈り求めることが出来る幸いと光栄を。》