◇◆◇日々のみ言葉
2020年8月24日(月)
◎聖書箇所【マタイの福音書5章3節】
5:3 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」
◎ショートメッセージ
《主イエスの公生涯がいよいよ始まりました。まず主イエスは、カペナウムを中心として、ガリラヤ湖近辺の様々な町や村において、御国を宣べ伝え、悪霊を追い出し、あらゆるわざわいや、病気をいやされたのです。
すると、主イエスの評判は、またたく間に、ローマのシリア州全体に、デカポリスやヨルダン川流域の町や村、そして遠くエルサレムまで広まって行ったのです。
カペナウムに戻られると、大勢の群衆が主イエスの御元にやって来ました。主イエスはこの群衆を見て、近くの丘に登り、すわられました。すると、弟子たちがみもとにやって来ました。この時には、まだ十二使徒の半分の6弟子が同行していたと思われます。
ただし、後にイスカリオテのユダの代わりに使徒となるマッテヤ、バルサバと呼ばれたユストは、いつ頃から主イエスの弟子になっていたのかは、分かりません。
実際に、十二使徒の中において、私たちは聖書から、8名の弟子の召命を知ることが出来ますが、トマスとタダイ、そして熱心党員シモンとイスカリオテのユダの4名は、いつ主が召し出されたのかは分からないのです。
さて、主イエスは大きな口を開き、大きな声を出され、群衆に、そして弟子たちに教え始めたのです。今日は、最初の教えです。
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」
新改訳聖書は、ギリシャ原語を忠実に訳しているのが特徴ですが、その為、難解な訳が多い嫌いもあります。
尾山令仁師の現代訳では、こうなっています。
「ああ、何と幸いなことでしょう、心のへりくだっている人たち。神様が、その人たちに御国を下さっています。」
何と素晴らしい訳ではありませんか。
私たちは、「心の貧しい者」と言うと、心に余裕や憂いがなく、ぎすぎすした者、と言う意味に連想してしまいがちです。しかし本当の意味は、「へりくだった心の持ち主」と言う意味なのです。
それだけではありません。
「その人のものだからです。」とは、未来にやがて与えられると言う意味にも理解しかねません。
そうではないのです。
現代訳では、「神様が、その人たちに御国を下さっています。」となっていて、もうすでにその人には御国が訪れていることになります。まさに御国は、内にあるのです。
「傲慢」すなわち「高ぶる」ことこそが、一番大きな罪です。サタンは、その罪を犯して、天より突き落とされました。
「へりくだる」ことこそ、「謙遜」こそが、御国への道なのです。》