◇◆◇日々のみ言葉
2020年8月23日(日)
◎聖書箇所【マタイの福音書5章1節~2節】
5:1 この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。
5:2 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。
◎ショートメッセージ
《主イエスのうわさはシリヤ全体に広まりました。当時のユダヤは、ローマ帝国の属国となっていました。よって「シリア」とは、ローマのシリア州の事を指しています。 ユダヤの人々は、さまざまの病気と痛みに苦しむ病人、悪霊につかれた人、てんかん持ちや、中風の者などをみな、主の御もとに連れて来たのです。
マタイは簡潔に書き記していますが、いったいどれほどの人々が苦しんでいたことでしょうか。主イエスは彼らをお直しになられました。
この時、いやされなかった人は、はたしていたのでしょうか。いいえ。皆いやされたのです。それだからこそ、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤおよびヨルダンの向こう岸から、主イエスのうわさを耳にした大ぜいの群衆が主イエスにつき従って来たのです。
その群衆を見ると、主は山に登られたとあります。しかしガリラヤ湖近辺には山はありません。ガリラヤ湖の西側、カペナウム近郊には、いくつもの丘があります。伝承の丘の上には、今現在、「至福の教え教会」、別名「山上の垂訓教会」が建てられています。
主イエスは、丘の頂上から、すり鉢状の斜面に座った群衆に、教えられました。今日から、その教えである「山上の垂訓」を、じっくりと学んで行きたいと思います。
『この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。
そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。』
ここで、大切なことは、この教えが誰の為であるのか、と言うことです。弟子たちです。群衆ではないのです。主イエス・キリストを信じ、従おうとする弟子たちに向けられた教えなのです。
この場面には、三つのタイプの人が存在します。
一つは、物見遊山的に、傍観者として、うわさだけを耳にし、興味本位に集まって来た人たち。すなわち群衆です。
次は、主イエスを心から信じ、すべてを捨てても従おうとする人たちです。
そして最後は、ここに書かれてはおりませんが、主イエスに敵対し、その御わざを否定する人たちです。具体的に言いますと、パリサイ人や律法学者たち、祭司長や祭司たちのことです。
日本はどうでしょうか。
いったい、どれくらいの人々が、主イエスの弟子として、主の御もとにやって来るのでしょうか。
「イエスは口を開き」とマタイは書いていますが、話す時、語る時には口を開くことは当然です。そうではなく、主イエスは大きな口を開いて、大きな声を出し、話されたことを、マタイは強調しているのです。》