◇◆◇日々のみ言葉
2020年9月5日(土)
◎聖書箇所【マタイの福音書5章14節~15節】
5:14 「あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。
5:15 また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。」
◎ショートメッセージ
《主イエスは、弟子たちを御そばに引き寄せました。「山上の垂訓」は、やがて残される弟子たちへの、そして今現在生かされている私たちへの教えでもあるのです。
「あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。」
そして次の教えが、今日のみ言葉です。現代訳はこうなっています。
「あなたがたは、世の光です。山の上にある町は、どこからでも良く見えます。またランプに明かりを付けて、それをわざわざ隠してしまう人はおりません。家の中をよく照らすように、燭台の上に置きます。」
このみ言葉を理解する為には、今から二千年ほど前のイスラエルの世界を知らなくてはなりません。当時の家には、たいてい一つの明かりが灯されていたのです。
そしてそれは、家の真ん中にある、あるいは壁の中央の高い所にある燭台の上に置かれました。当時の燃料は、オリーブ油です。オリーブ油は、薬や料理にも用いられていましたので、決して安く手に入るものではなかったのです。それゆえ、一般の家庭には、一つの明かりであったわけです。そしてその明かりを消す時には、枡をかぶせたのです。
また、「山の上にある町」とは、聖都エルサレムのことです。今でもあのイスラム教モスクのドームは、あらゆる所から見ることが出来ます。
尾山先生が言われたように、「山の上にある町は、どこからでも良く見え」るのです。
さて、新改訳聖書は「あなたがたは、世界の光です。」と訳していますが、現代訳聖書の「あなたがたは、世の光です。」の方が、意味を捉える事が出来ると思います。
「世」とは、この世です。確かにこの世界ですが、もっと身近な問題であり例えでもあります。
私たちの周りは、真っ暗闇です。かつて、私たちも暗闇の世界で、霊的には盲目であって、手探り状態で、どこに向かっているのか分からない状況で歩んでいました。しかし、私たちは「光」を見い出したのです。
主イエスは言われます。
『「私は、世の光です。私に従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネの福音書8:12抜粋) 』
『「私が世にいる間、私は世の光です。」(ヨハネの福音書9:5) 』
『「昼間は十二時間あるでしょう。だれでも、昼間歩けば、つまずくことはありません。この世の光を見ているからです。」(ヨハネの福音書11:9抜粋)』と。
明日は同じ箇所からの続きとなります。》