◇◆◇日々のみ言葉
2020年9月29日(火)
◎聖書箇所【マタイの福音書5章45節~48節】
5:45「それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。
5:46 自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。
5:47 また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。
5:48 だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。」
◎ショートメッセージ
《ここまで、「山上の垂訓」について学んで来ましたが、この箇所こそが結論なのです。
もう一度言います。この教えは、弟子たちへの教えなのです。主イエスは、選民ユダヤ人としてお生まれになられました。そしてユダヤ人の男性として育ち成長され、ラビと呼ばれることが許可される、およそ30歳になられた時から、メシアとして公生涯を始められたのです。
主イエスは、旧約聖書に預言されたユダヤ人のメシアですが、それだけではなく、異邦人を含むすべての人の主であられ、また救い主です。
しかし、その奥義を始めから示すのではなく、徐々に段階を持って、弟子たちに伝えて行かれたのです。
主イエスが、ここで言われた結論は、「あなたがたユダヤ人は、人とは思わない異邦人を、特に今ユダヤを支配しているローマ人を愛しなさい。」と言う意味なのです。
ユダヤ人は、神様の選民です。その真理は、永遠に変わることはありません。しかし彼らは、その事に対して傲慢となり、主イエスを拒否し十字架につけたのです。
そしてその報いは、紀元70年に成就します。その時、主イエスを十字架に掛けた多くの同胞ユダヤ人は皆さばかれます。まさに彼らは刈り取りをします。
『だが、ピラトは言った。
「あの人がどんな悪い事をしたというのか。」しかし、彼らはますます激しく
「十字架につけろ。」と叫び続けた。
そこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。
「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」
すると、民衆はみな答えて言った。
「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」(マタイの福音書27:23~27:25)』と、彼らが望んだように、主イエスの血の責任は、彼らに降りかかるのです。
十二使徒はエルサレムを離れ、異邦人伝道へと向かいます。マタイも、異邦人伝道に向かうさい、同胞ユダヤ人の信徒の為に、その福音書を執筆し残したのです。
もっとも遠い地にまで行き巡ったのは、疑い深い使徒トマスだと伝えられています。彼はインド、中国にまで、その足跡を刻みつけました。》