• 日々のみ言葉 2020年10月3日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2020年10月3日(土)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書6章5節】
    6:5「また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。」

    ◎ショートメッセージ
    《マタイの福音書の第6章の最初の教えは、実は、主イエスは、パリサイ人や律法学者たちの三つの敬虔について、すなわち「施し」「祈り」「断食」について、弟子たちに教えておられるのです。

     先々日と先日は「施し」について学びました。いかに数多くの物乞いたちに施しをしている姿を、同胞ユダヤ人に見せる為に、パリサイ人や律法学者たちが、行なっていたことを、主イエスは明らかにしたのです。

     次に「祈り」についてです。
     パリサイ人や律法学者たちは、祈っている姿を人に見せる為に、またその祈りを聞かせる為に、ユダヤ人の会堂や、道の四つ角に立って祈っていたのです。

     これは、何も二千年ほど前のことではありません。教会の中にも、そのような人はいないでしょうか。すなわち神様に祈るのではなく、会衆に聞かせる為に祈る人のことです。
     中には、食前の祈りと言うのに、数分どころか、10分以上も祈る人がいたことを聞いたことがあります。まさに本末転倒です。
     本来、祈りとは、人に聞かせるものではありません。また人に聞いてもらうものでもありません。
     祈りとは、神様との対話なのです。本物の祈りとは、こちら側からの一方通行ではありません。その祈り、その会話に、主なる神様が、答えて下さることが、本物の祈りなのです。

     祈りとは、私やあなたの人格と、三位一体なる神様との人格との交わりを指すのです。多くのクリスチャンはこう思っていることを聞いたことがあります。神様が直接話すはずはないと。

     もしそれが事実だとしたら、アダムとエバ、モーセ、ダニエルやパウロは、嘘つきで、聖書は神様の誤りなき言葉ではなく、神様のまったき偽りの書になってしまいます。つまり、神様はいないと言うことを表明することになるのです。

     もちろん神様は、聖書を通して語られます。それが一番多いことも事実です。しかし神様には、他の方法がないのでしょうか。他の選択肢はないのでしょうか。
     いいえ。夢によっても語られます。また人を用いて語られます。あるいは自然現象を通して、ご自身の意思を伝えられます。創造主なる神様は無限の方法をお持ちです。

     しかし、話しかけて下さることも事実なのです。私の中におられる聖霊なるお方が、私の霊を通して語って下さるのです。》

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