◇◆◇日々のみ言葉
2020年10月2日(金)
◎聖書箇所【マタイの福音書6章1節~4節】
6:1「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。
6:2 だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
6:3 あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。
6:4 あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いて下さいます。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。今日は、主イエスが言われた言葉を、さらに詳しく考えて行きたいと思います。
実は、主イエスは、パリサイ人や律法学者たちの三つの敬虔について、すなわち「施し」「祈り」「断食」について、弟子たちに教えておられるのです。
「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。」
パリサイ人や律法学者たちは、あえて人々の見てる時に、善行、すなわち施しをしたのです。ここで言う施しとは、おもに「美しの門」などの門前において物乞いをしている人々に、哀れみの金銭を与えることでありました。
これは推測ですが、おそらく一人のパリサイ人が、何十人もいる物乞いの一人一人に、僅かばかりの金銭を恵んでいたと思うのです。
物乞いは言います。
「罪人の私を哀れんで下さい」と。
するとパリサイ人は、金銭(おそらく銅貨)を投げ入れこう言うのです。
「私の哀れみの心を、さあ受け取りなさい」と。
それゆえ主イエスは、
「あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。」とたとえで話しているのです。この言葉は、実際には不可能であり、また有りえないことです。おそらく、当時の言い回し、あるいはことわざではないでしょうか。
「あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いて下さいます。」
この言葉こそ、弟子たちへの教えであって、「施しをするならば、誰にも見られないように、施しをしなさい。」と言うことです。そうすれば、すべてを知っておられる父なる神様が、大いなる報いを与えて下さると言う、約束なのです。》