◎本日の聖書箇所【使徒の働き5章17節~25節】
5:17 そこで、大祭司とその仲間たち、すなわちサドカイ派の者たちはみな、ねたみに燃えて立ち上がり、
5:18 使徒たちに手をかけて捕らえ、彼らを公の留置場に入れた。
5:19 ところが、夜、主の使いが牢の戸を開け、彼らを連れ出し、
5:20 「行って宮の中に立ち、人々にこのいのちの言葉をすべて語りなさい」と言った。
5:21 彼らはこれを聞くと、夜明けごろ宮に入って教え始めた。一方、大祭司とその仲間たちは集まって、最高法院、すなわちイスラエルの子らの全長老会を召集し、使徒たちを引き出して来させるために、人を牢獄に遣わした。
5:22 ところが、下役たちが行ってみると、牢の中に彼らはいなかった。それで引き返して、こう報告した。
5:23 「牢獄は完全に鍵がかかっていて、番人たちが戸口に立っていました。しかし、開けてみると、中にはだれもいませんでした。」
5:24 宮の守衛長や祭司長たちは、この言葉を聞くと、いったいどうなることかと、使徒たちのことで当惑した。
5:25 そこへ、ある人がやって来て、「ご覧ください。あなたがたが牢に入れた者たちが、宮の中に立って人々を教えています」と告げた。
◎メッセージ【十二使徒の解放(見張りの兵士たち)】
《ついに最高法院サンヘドリンが動き出しました。エルサレムにおいて、使徒たちを通して、主イエスの御名による「しるし」「不思議」「奇跡」が著しく行なわれていたからです。大祭司、祭司長たちには、そのようなことは出来ませんから、彼らは大いにねたみに燃えました。そして宮の守衛長に命じて、十二使徒全員を捕らえ、公の留置場に入れたのです。この留置場は、国主アンティパスの留置場ではなく、宮の中にあったと思われます。もちろん教会は、熱心に祈りを捧げていました。
ところが、夜、主の使いが牢の戸を開け、十二使徒を連れ出したのです。そして「行って宮の中に立ち、人々にこの命の言葉をすべて語りなさい」と、彼らに命じたのです。御使いは、使徒たちを連れ出すと、元のようにカギを掛けたのです。それは、見張りの兵士たちの為にです。彼らはユダヤ人の兵士であったと思われます。
さて、この事件があってから、かなり後のことです。紀元46年の大飢饉の時、ガリラヤとペレヤの国主ヘロデ・アンティパスは、ユダヤ人の機嫌を取る為に、使徒ヤコブを捕らえ剣で殺したのです。ヤコブは十二使徒の最初の殉教者となりました。
その時にも、教会は熱心に祈りを捧げたのです。しかし以前のように、御使いによって、奇跡的には釈放されませんでした。
そしてさらに、アンティパスは、ペテロをも捕らえました。この時には、4人一組の兵士四組に引き渡して監視させたのです。この時にも教会は、以前にも増して熱心に祈ったのです。
そして今回は、この祈りが聞かれ、ヘロデがペテロを引き出そうとしていた日の前夜に御使いによって、奇跡的に救い出されます。ペテロが、御使いによって牢獄から釈放されるのは、これが二回目です。
さて、主イエス様の時はどうであったのでしょうか。最高法院サンヘドリンは、ポンテオ・ピラトに墓の見張りを引き受けさせます。よって4人のローマ兵が、主イエスが葬られた新しい園の墓に見張りとして付くことになります。
三日目の朝、天から二人の御使いが降りて来て、封印してあった丸い墓石を、蹴ってころがします。その場面に4人のローマ兵は居合わせたのです。
主イエスの復活を一番最初に知ったのは、ユダヤ人ではなく、異邦人のローマ兵なのです。彼らは、ポンテオ・ピラトの所ではなく、大祭司の所に駆けつけます。なぜなら命がかかっていたからです。この4人のローマ兵は、サンヘドリンによって守られ、彼らは処刑されることなく、ローマ軍から脱退し、自由の身とされます。実は、ここにも主なる神様の恵みと哀れみが表わされているのです。
十二使徒は御使いによって奇跡的に釈放されました。もちろんすべてのカギは掛けられていたのです。この時の見張りを行なった、ユダヤ人兵士たちは許されました。
しかし、ペテロの場合には、同じようにすべてのカギが掛けられていたにも関わらず、見張りの16人の兵士は処刑されます。
バプテスマのヨハネを処刑し、主イエスをローマ総督に引き渡しただけでなく、この件においても、国主アンティパスはさらに罪に罪を重ねて行くのです。そしてついに罪の機が熟した時に、アンティパスは、虫に食われて息絶えることになります。
主は最後の最後まで、たとえどんなに悪い国王であったとしても、悔い改めの機会を与える「良いお方」であり、恵みと哀れみとに満ちあふれた「良い神様」であられます。 しかし、それは永遠に続くのではなく、やがて罪の刈り取りの時は確実にやって来ます。確かに今は恵みの時です。一人でも多くの方が救われ、天の御国に行くことが出来ますよう、祈り求めると共に、行動を起こして行きましょう。》