◇◆◇日々のみ言葉
2020年10月5日(月)
◎聖書箇所【マタイの福音書6章7節】
6:7 「また、祈るとき、異邦人のように同じ言葉を、ただくり返してはいけません。彼らは言葉数が多ければ聞かれると思っているのです。」
◎ショートメッセージ
《主イエスは、パリサイ人や律法学者たちの三つの敬虔について、いかにそれが「見せかけ」だけのものであるのかを、明らかにしています。
一つ目は「施し」について、そして二つ目は「祈り」についてです。
「祈り」とは、人に見せたり聞かせたりするものではなく、誰も見ていない「奥まった部屋」において、一人で祈るべきであることを、主イエスは教えておられます。
そして、次に主イエスは「異邦人」の祈りについて言及しています。
「また、祈るとき、異邦人のように同じ言葉を、ただくり返してはいけません。」
異邦人は、いったい誰に祈っているのでしょうか。
創造主なる真の神様は、ただお一人しかおられないのに。そのお方こそ、ヤーヴェなる神様であられ、父なる神様と御子イエス・キリスト、そして聖霊なるお方。三つの異なった人格を持ち、それでいて一つであられ、一人のお方。
このお方に捧げる祈りではないとしたら、誰に向かってしているのでしょうか。このお方以外は、すべて偽物です。よって、悪魔に祈っていることになるのです。
「同じ言葉を繰り返す」、すなわち定められた言葉や文句を何回も何回も唱える祈りのことです。そこに求められていることは、回数なのです。
しかし大切な真理があります。カトリック教会で祈られている「祈り」です。繰り返される場合が多いのですが、紛れもなく真の神様に捧げられていると私は確信しています。
確かに、カトリック教会とプロテスタント教会では、主の母マリア(聖母マリア)に対する扱いが異なっていると言う事実はあります。
しかしカトリック教会は、マリアを崇拝しているのではなく、崇敬しているのです。聖母マリアは神様ではありません。人間です。それゆえ、カトリック教会は、聖母マリアを礼拝してはいません。
私たちの神様は、常にその人の「心の動機」をご覧になられます。》