◇◆◇日々のみ言葉
2020年10月11日(日)
◎聖書箇所【マタイの福音書6章11節】
6:11「私たちの日ごとの糧をきょうもお与え下さい。」
◎ショートメッセージ
《現代訳は、
『6:11「私たちに毎日必要なものを、今日もお与え下さい。」』となっています。
「日ごとの糧」、そして「毎日必要なもの」とは何でしょうか。
これは「お金」のことを表わしているのではありません。どんなにたくさんのお金を持っていたとしても、お金ではお腹はいっぱいにはならないからです。そのお金を使って、食べる物を買わなければならないのです。
しかし、食べる物が売っていなかったのなら、どうしたらよいのでしょうか。何千人分の食事を用意することが出来るお金を持っていたとしても、買うことが出来なかったとしたら、その人は結局飢え死にして行くことになります。
それゆえ主イエスは、明確に「毎日必要なものを、今日もお与え下さい。」と祈るように命じているのです。
「山上の垂訓」では、主イエスは弟子たちに、このように教えています。
『「だから、私はあなたがたに言います。自分の命のことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。命は食べ物より大切なもの、からだは着物より大切なものではありませんか。
空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていて下さるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっと優れたものではありませんか。
あなたがたのうち誰が、心配したからといって、自分の命を少しでも延ばすことができますか。
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
だから、明日の為の心配は無用です。明日のことは明日が心配します。労苦はその日その日に、十分あります。(マタイの福音書6:25~6:34抜粋)』と。
特に「明日の為の心配は無用です。明日のことは明日が心配します」と言われた言葉に真理があります。
その日に必要なもの(日ごとの糧)は、必ずその日に与えられます。しかもそのことが、明確に約束されており、保証されているのです。
しかし、そうであったとしても、私たちは祈るべきです。なぜなら祈ることによって、主に感謝することが出来るからです。真に、すべては「恵み」なのですから。》