• 2020年10月11日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き5章25節~33節】
    5:25 そこへ、ある人がやって来て、「ご覧下さい。あなたがたが牢に入れた者たちが、宮の中に立って人々を教えています」と告げた。
    5:26 そこで、宮の守衛長は下役たちと一緒に出て行き、使徒たちを連れて来たが、手荒なことはしなかった。人々に石で打たれるのを恐れたのである。
    5:27 彼らが使徒たちを連れて来て最高法院の中に立たせると、大祭司は使徒たちを尋問した。
    5:28 「あの名によって教えてはならないと厳しく命じておいたではないか。それなのに、何ということだ。おまえたちはエルサレム中に自分たちの教えを広めてしまった。そして、あの人の血の責任をわれわれに負わせようとしている。」
    5:29 しかし、ペテロと使徒たちは答えた。「人に従うより、神に従うべきです。
    5:30 私たちの父祖の神は、あなたがたが木にかけて殺したイエスを、よみがえらせました。
    5:31 神は、イスラエルを悔い改めさせ、罪の赦しを与えるために、このイエスを導き手、また救い主として、ご自分の右に上げられました。
    5:32 私たちはこれらのことの証人です。神がご自分に従う者たちにお与えになった聖霊も証人です。」
    5:33 これを聞いて、彼らは怒り狂い、使徒たちを殺そうと考えた。

    ◎メッセージ【再び最高法院へ】
    《「ご覧下さい。あなたがたが牢に入れた者たちが、宮の中に立って人々を教えています」この言葉は、最高法院および宮の守衛長にとっては非常にショッキングでした。なぜなら、牢にはカギがかけられ、見張りもいて、逃げ出すことなど出来るはずがなかったからです。そこで、宮の守衛長と部下の兵士と下役たちは、彼らを再び最高法院に連れて来たのです。
     ところで、使徒たちが最高法院に立つのは実は二回目となります。もっとも一回目は、シモン・ペテロとヨハネの二人でした。その時、大祭司カヤパは、彼らに命じるのです。
    「イエスの名によって語ることも教えることも、いっさいしてはならない。』と。
     それゆえ大祭司カヤパは、「あの名によって教えてはならないと厳しく命じておいたではないか。それなのに、何ということだ。おまえたちはエルサレム中に自分たちの教えを広めてしまった。そして、あの人の血の責任をわれわれに負わせようとしている。」と言います。
     これは、主イエスを十字架につける為に祭司長や祭司たちが扇動して、群衆に言わせた言葉に由来があるからです。
     ピラトは言います。「この人の血について私には責任がない。おまえたちで始末するがよい。」と。
    「その人の血は私たちや私たちの子どもらの上にかかってもよい。」と群衆は答えるのです。
     その言葉と願い通りになります。それは、この時から約40年後となります紀元70年のことです。神様は、ユダヤ人指導者たちの為に、悔い改めの期間を設けられたのです。
     さてシモン・ペテロは、大祭司カヤパの質問に答えます。
    「人に従うより、神に従うべきです」と。
     実はここで学ぶべき大切な真理があります。本来ならば、使徒たちは、ユダヤの政治的かつ宗教的指導者である大祭司の命令に従うべきなのです。しかも、大祭司の決議事項は、神が定められたことでもあると言われていたからです。
     しかし、主の使いは、十二使徒を牢から解放させた時に、彼らに主イエスの命令を直接伝えています。「行って宮の中に立ち、人々にこの命の言葉をすべて語りなさい」と。
     それだからこそ、ペテロは、「人に従うより、神に従うべきです。」と言えるのです。
     さて、この時よりかなりの後に、使徒パウロはこう勧めています。
    『人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。』
     何か矛盾するような感じがしないでもないような気もしますが、普通は、使徒パウロの言うことが正しいのです。
     しかし、それが神のみ心や、聖書の教えに反する場合には、神に従うことが優先されるのです。それでは、その優先順位が分からない時はどのようにしたら良いのでしょうか。
     私たちには、助け主である聖霊様がおられます。聖霊様に聞くのです。聖霊様は、創造主ヤーヴェなる神様の第三位格であられ人格をお持ちです。喜んで教えて下さるのです。》

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