◇◆◇日々のみ言葉
2020年10月13日(火)
◎聖書箇所【マタイの福音書6章13節】
6:13「私たちを試みに会わせないで、悪からお救い下さい。〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕」
◎ショートメッセージ
《現代訳は、
『6:13「私たちを誘惑に遭わせず悪魔から救い出して下さい。御国と力と栄光は、いつまでもあなたのものです。アーメン。」』となっています。
比較しますと、二つの大きな違いがあることに気づきます。
一つ目は、「試み」が、現代訳では、「誘惑」になっていることです。そして二つ目は、「悪」が「悪魔」になっていることです。
今日から、この二つの大きな違いについて考えて行きたいと思います。
まず「試み」です。試みとは、広辞苑においては、「こころみること、ためしにやってみること」と解釈されています。
ペテロは、このように勧めています。
『愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。(第Ⅰペテロ4:12~4:13)』
ここから、「試み」とは「試練」であることが分かります。そして、さらに主の兄弟ヤコブは、このように勧めています。
『私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。(ヤコブの手紙1:2~1:4)』と。
つまり「試み」とは「試練」であって、神様からやって来るものであると言うことです。それは、私たちの信仰を強める為に、さらに主ご自身を信頼する為に、主が成されるのです。その時、主はヨブやペテロの場合のように、悪魔さえ用いられるのです。
もちろん、誰であっても、試練は好ましいものではありません。試練や試みなどない方が良いに決まっています。しかし主イエスは弟子たちにこう言われたのです。
『「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。私はすでに世に勝ったのです。」(ヨハネの福音書16:33後半)』と。
そして「誘惑」ですが、これは明らかに「悪魔」からやって来るものです。ヤコブはこう言います。
『だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。(ヤコブの手紙1:13~1:15)』と。
それゆえ現代訳では、「試練」ではなく「誘惑」と訳されているのです。明日も同じ箇所です。》