◇◆◇日々のみ言葉
2020年10月14日(水)
◎聖書箇所【マタイの福音書6章13節】
6:13「私たちを試みに会わせないで、悪からお救い下さい。〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。
現代訳を再度掲載します。
『6:13「私たちを誘惑に遭わせず悪魔から救い出して下さい。御国と力と栄光は、いつまでもあなたのものです。アーメン。」』となっています。
昨日は、二つの大きな違いにおける、一つ目の、「試み」が「誘惑」になっていることを考えて見ました。
そして今日は、二つ目で、「悪」が「悪魔」になっていることについて考えて見ることにしましょう。
「悪」とは、広辞苑では、
①良くないこと。天災・病気などのような自然的悪。人倫に反する行為などのような道徳的悪の総称。正義・道徳・法律に反すること。
②醜いこと、不愉快なこと。
③劣ること。
④たけだけしく強いこと。
⑤歌舞伎の敵役
と定義しています。
何が言いたいのかと言いますと、抽象的な意味での「悪」なのです。私が最初に訪れた教団の教会は、このような理解でした。「悪魔」は「悪」の抽象的な表現であって、実際には、「悪魔」と「悪霊」は存在しない、と言う教理であったのです。しかもその教団は、聖書を特に重んじていたのです。
その点、現代訳は、はっきりと「悪」ではなく、「悪魔」と明確にしています。それは決して、抽象的な表現ではありません。意思と人格を持った「悪しき存在」そのものです。
主イエス様は、はっきりと弟子たちに教えておられます。
『「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。私が来たのは、羊が命を得、またそれを豊かに持つためです。」(ヨハネの福音書10:10)』と。
悪しき存在であり、人格と意思を持つ悪魔と悪霊は、私たちを誘惑して来ます。私たちクリスチャンは、望まなくても、霊的戦いの中に置かれているのです。
私の師である尾山令仁師は、クリスチャンは、「生きるか死ぬか、倒されるか倒すかの瀬戸際の、本物の戦いの最前線に立たされている。」と、何度も言われています。しかも、これはゲームではなく、リアルとも言われています。
だからこそ、この祈りがあるのです。だからこそ、主はこの祈りを教えられたのです。》