◇◆◇日々のみ言葉
2020年10月20日(火)
◎聖書箇所【マタイの福音書6章19節~21節】
6:19「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。
6:20 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。
6:21 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」
◎ショートメッセージ
《ここでも現代訳を掲載します。
『6:19「自分のために、宝を地上にたくわえてはいけません。そんなことをすれば、必ず虫やさびがついてしまい、また泥棒に取られてしまいます。
6:20 むしろ、自分のために、宝を天にたくわえなさい。そうすれば、その宝はいつまでも残ります。
6:21 あなたの宝のある所には、あなたの心もあるのです。」』
何度も言っていますが、主は心の動機を見られます。新改訳では、「自分の宝」と訳しています。これだと、私たちが「宝」を持つことさえも否定されているような気がいたします。つまりクリスチャンは、貧しさに、貧困の中に身を置き、なおかつ清貧に生きることが誉れとなってしまいます。
もっともカトリック教会の聖フランシスコは、そのように生きたと伝えられています。その祈りが「平和の祈り」です。
そうなりますと、アブラハムやヤコブやヨブや、はたまたダビデ王やソロモン王さえも、否定しなければならなくなるのです。なぜなら彼らは裕福であったからです。
そうではないのです。現代訳は、明確に動機の点に重きを置いて訳されています。すなわち、「自分のために」と言うことです。
主イエスは、ある一人の金持ちの話をされました。しかもこの話は、たとえではなく実話であったと言われています。またその金持ちの名前は「ダイブス」と伝えられているのです。
『「ある金持ちの畑が豊作であった。そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。
「どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。」そして言った。
「こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。[たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。]
しかし神は彼に言われた。
「愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。」(ルカの福音書12:16~12:21抜粋)』
たくわえは必要です。しかし、そのたくわえを何の為に、だれの為に使うのかが問われているのです。
すべては恵みなのです。実は、私たちのものは何一つないのです。なぜなら、与えられたすべてのものが、神様からのものであって、恵みと哀れみと慈しみによって与えられたものだからです。明日も同じ箇所からです。》