◇◆◇日々のみ言葉
2020年10月21日(水)
◎聖書箇所【マタイの福音書6章19節~21節】
6:19「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。
6:20 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。
6:21 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からです。再度、現代訳を掲載します。
『6:19「自分のために、宝を地上にたくわえてはいけません。そんなことをすれば、必ず虫やさびがついてしまい、また泥棒に取られてしまいます。
6:20 むしろ、自分のために、宝を天にたくわえなさい。そうすれば、その宝はいつまでも残ります。
6:21 あなたの宝のある所には、あなたの心もあるのです。」』
「宝」とは何でしょうか。
それは「お金」や「宝石」や「貴金属」だけを指すのではありません。もちろん、今あげました三つの物は、誰に取っても「宝」となりうるものであることは、間違いないことです。
ダイヤモンドやルビーは、希少価値の高い宝石です。また金や銀やプラチナも、非常に貴重な貴金属です。現金を銀行に預けておくよりも、それらの物を家に蓄えているほうが、財産が目減りすることは少ないかも知れません。
お金も大切です。生活して行くには必要です。しかし、その価値を誰が保証しているのでしょうか。それぞれの国が保証しているからこそ、お札や金貨や銀貨は通用するわけです。ここで言う保証とは、本来ならば、お札を銀行に持って行くと、それ相応の金や銀に交換してくれると言うことであったのです。
しかし、それらのものは決して暴落しないと言う保証はどこにもないのです。もし暴落したとしたら、一万円札はまさにただの紙切れになってしまいます。また暴落しないとしても、毎日、いや毎秒ごとに、それらの価格は常に変動しており、上がったり下がったりを繰り返しています。
主イエスは、このように教えられました。
『「人は、たとい全世界を手に入れても、まことの命を損じたら、何の得がありましょう。その命を買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」(マタイの福音書16:26)』と。
「宝」とは何でしょうか。実はそれは、人によってそれぞれ違うのです。その人が大切にしているもの、あるいは集めているもの、愛着を持っているものも、それが宝となりうるのです。またそれらのものは、ある人には確かに宝であるのですが、別な人には二束三文かも知れません。
しかし、本物の宝とは、たった一つしかありません。それは「永遠のいのち」です。》