• 日々のみ言葉 2020年11月10日(火)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2020年11月10日(火)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書7章6節】
    7:6「聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。」

    ◎ショートメッセージ
    《現代訳を掲載します。
    「神様の御前に聖められたものは、たといそれがどのようなものであれ、天のお父様に故意に背を向けている者たちに与えてはなりません。彼らには、その価値がさっぱり分からないからです。」

     もし、初めて聖書を手にした人が、この箇所を読んだとしたら、いかに感じることでしょうか。
     実は私もそうであったからです。「犬」は犬と思いましたし、「豚」は豚と思ったからです。確かに、犬にトラクトを渡したとしたら、おそらくおもちゃと思い、ボロボロにするでしょうし、ブーブー鳴いている豚に、真珠のネックレスを与えたとしたら、食べ物と勘違いし、食べてしまうかも知れません。あるいは豚足で踏みつけることでしょう。

     もちろん、比喩ですから、そんなことはありません。
     当時のユダヤ社会において、異邦人、すなわちユダヤ人以外の人々は、人ではなく「犬」、あるいは「豚」扱いされていたのです。「豚」とは汚れた動物とされ、豚飼いになると言うことは、ユダヤ人の中において、落ちる所まで落ちたことにされていたのです。

     主イエス様の「放蕩息子」のたとえの中に出て来るではありませんか。ユダヤ人は、今でも豚肉を決して食べません。メシアニック・ジューとなって、主イエス様を信じ、生まれ変わったユダヤ人であっても、食べないのです。それはユダヤ人としての生き方を変えようとはしないからです。なぜなら、彼らは選民としての自覚があるからです。

     しかし、面白い事実があります。シモン・ペテロは、異邦人と一緒に食事をしたのです。具体的には、ローマ軍イタリア隊百人隊長コルネリオとその家族と友人たちですが。それ以後、シモン・ペテロは豚肉を好んで食べたと伝えられています。

     私は、使徒パウロも同じように、異邦人と共に食事をしたと信じています。それは、書簡においてこのように書き記しているからです。

    『私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。
     ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。
     律法を持たない人々に対しては、(私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが、)律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。(第Ⅰコリント9:19~9:21)』と。

     その当時の風習や文化を踏まえて、主イエスが言われた「み言葉」を考えなければなりません。それゆえに、現代訳は意訳し、分かりやすいように説明しているのです。
     明日も同じ箇所です。》

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