◇◆◇日々のみ言葉
2020年11月16日(月)
◎聖書箇所【マタイの福音書7章9節~11節】
7:9「あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。
7:10 また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。
7:11 してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。」
◎ショートメッセージ
《再度、現代訳を掲載します。
7:9「あなたがたもそうでしょう。自分の子どもがパンをほしがっているのに、石などを与えますか。
7:10 また、自分の子どもが魚をほしがっているのに、蛇などを与えますか。
7:11人間でも、自分の子どもには良くないものを与えることがないのですから、まして天にいらっしゃるあなたがたのお父様が、求め続けている者に良いものを下さらないことがありましょうか。」
今日は、昨日と同じ箇所からとなりますが、特に11節に書かれた「良いもの」について考えて見たいと思います。
求め続けなさい、捜し続けなさい、門をたたき続けなさい、と主イエス様は言われましたが、もし、その求め、捜し、たたき続けている「もの」が、私やあなた、つまり、その人自身にとっては、「良くないもの」だったとしたら、どうなのでしょうか。
実際に、その人が熱心に祈り求め続けているものが、実は「パン」や「魚」ではなく、「石」や「蛇」だとしたら、どうでしょうか。父なる神様は果たして与えて下さるでしょうか。
つまり「本物」があるとしたら「偽物」もあると言うことです。また、本物の預言があるように「偽預言」もあると言うことなのです。
主イエス様は、
「まして天にいらっしゃるあなたがたのお父様が、求め続けている者に良いものを下さらないことがありましょうか。」と言われています。
父なる神様は、私たち一人一人のことを本当に良く知っておられす。それだからこそ、父なる神様は、それが有用かどうか、また有益かどうかを判断し、無用であり有害であるようなものは下さいません。その代わり、有用有益なものを与えて下さるのです。
そのような場合には、求めた側からすれば、父なる神様は私たちの求めに答えて下さらなかったと思ってしまいます。しかし、神様は私たちに取って最善なものを良くご存じなのです。
祈り求めましょう。そして、今与えられているものは、間違いなくその人に取っては、最善かつ最高のものなのです。それを信じ、受け入れましょう。神様は、すべてを益に変えて下さるからです。》