◇◆◇日々のみ言葉
2020年12月16日(水)
◎聖書箇所【マタイの福音書8章21節~22節】
8:21 また、別のひとりの弟子がイエスにこう言った。「主よ。まず行って、私の父を葬ることを許してし下さい。」
8:22 ところが、イエスは彼に言われた。「私について来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。
現代訳を掲載します。
『8:21 今度は、弟子の中のひとりがイエスにこう言った。「主イエス様。私の父の葬式を済ませてから、ご一緒に参ってもよろしいでしょうか。」
8:22 すると、イエスは彼に言われた。「私に従うことが第一です。葬式も大事だろうが、もっと大事なことがある。」』
現代訳では、実際に父の葬式があることのように訳されています。それゆえ主イエスの答えが、葬式よりもご自身に従うことが第一であると言われています。
しかし、これは疑問を生じる訳です。もし、本当に父の葬式があるなら、葬式に行くべきであって、それを済ませてから主イエスのところに戻るべきです。
十戒にはこう書かれています。
『あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。(出エジプト記20:12)』
もし実の父の葬式があって、それをすっぽかすようであったとしたら、この戒めに反することになってしまいます。主イエスは、十戒を破るようなことをなされるはずはありません。
よって、この弟子の言っている真意は何かと言いますと、『今は元気でいますが、その父を見送ってから、主よ、あなたに従いたいと思います。』ということなのです。
それゆえ、主イエスの答えが、
「私について来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」であり、また現代訳においても、その理解のもとに考えるならば、「私に従うことが第一です。葬式も大事だろうが、もっと大事なことがある。」と言う意味も分かって来ます。
さらに、主イエスの真意は何かと言いますと、
「決断を先延ばしにせず、今すぐ私に従うことを決断しなさい。」と言うことです。
主イエスを「救い主」として信じ受け入れること、あるいはバプテスマを受けることを、何らかのいいわけをして先延ばし、なかなか決断できない人は、案外多くいます。
そのような人は、「明日もまた同じ日がやって来るに違いない」と言う妄信の中に生きています。
「今がその時です」と言う言葉がありますね。
ある人が、教会の日曜礼拝に参加し、メッセンジャーによる救いの招きに躊躇し、決心を先延ばし、その礼拝の帰り道に交通事故にあって即死したと言う事例を聞いたことがあります。おそらくその人はこう思われたのではないでしょうか。
「今日は時間がないから招きに応じるのはやめておこう。来週の礼拝で、決心しよう。」と。なぜこの事が分かるのかと言いますと、隣に座った神学生が導いたからです。
しかし、その人に取っては、その時が最後のチャンスとなったのです。決断を先延ばしてはならないのです。主に従うことが、本当に第一なのです。》