• 日々のみ言葉 2020年12月15日(火)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2020年12月15日(火)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書8章21節~22節】
    8:21 また、別のひとりの弟子がイエスにこう言った。「主よ。まず行って、私の父を葬ることを許して下さい。」
    8:22 ところが、イエスは彼に言われた。「私について来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」

    ◎ショートメッセージ
    《「日々のみ言葉」は、今回で記念すべき2,000回を迎えます。2015年6月から始め、5年6ヶ月が過ぎようとしています。
     数回は、コンピューターの故障、またホームページの不具合にて、配信出来ない日もありましたが、ここまで続けることが出来ましたことは、主イエス様の憐れみと恵み、そして、読んで下さる方々のお祈りの何ものでもありません。

     読んで下さる方が一人でもおられるならば、まだまだ続けて行く所存でおります。また、ぜひ引き続き、バックアップのお祈りをよろしくお願いいたします。

     さて、この出来事は、並行記事としてルカの福音書にも書き記されています。
    『イエスは別の人に、こう言われた。「私について来なさい。」しかしその人は言った。「まず行って、私の父を葬ることを許して下さい。」すると彼に言われた。
    「死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。あなたは出て行って、神の国を言い広めなさい。」(ルカの福音書9:59~9:60)』と。

     ルカでは、若干マタイの記事とは異なっています。主イエスは、ある弟子に召命の意を示されます。
    「私について来なさい。」と。

     それに対して、その弟子が答えているわけです。マタイでは、主イエスのこの言葉は、弟子の答えの後に言われたことになっています。
     つまり最初の召命の言葉が省略されているわけです。よって主イエスは、おそらくこの時、すでにご自身を信じ受け入れ、弟子になった青年に、はっきりと言われたのです。「私について来なさい。」と。

     その召命に対する答えが、
    「主よ。まず行って、私の父を葬ることを許して下さい。」と言うことなのです。

     これは、この時、喪中であって、葬儀を終えてから、と言う意味ではありません。この青年の父親は元気でピンピンしています。この父親の葬儀を終えてからとは、何年もあるいは何十年も後に、父親が死んで葬った後に弟子になると言うことなのです。
     つまり弟子になることを、引き延ばしているのではなく、主イエスに対して、実はNOを突きつけているのです。

     それに対し、主イエスは、
    「私について来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」と言われます。明日も同じ箇所からとなります。》

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