◇◆◇日々のみ言葉
2020年12月20日(日)
◎聖書箇所【マタイの福音書8章23節~27節】
8:23 イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。
8:24 すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。
8:25 弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。「主よ。助けて下さい。私たちはおぼれそうです。」
8:26 イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。
8:27 人々は驚いてこう言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」
◎ショートメッセージ
《引き続き、同じ箇所からとなります。
実は、この出来事については、すでに旧約聖書に預言されていたのです。
『船に乗って海に出る者、大海であきないする者、彼らは主のみわざを見、深い海でその奇しいわざを見た。
主が命じてあらしを起こすと、風が波を高くした。彼らは天に上り、深みに下り、そのたましいはみじめにも、溶け去った。彼らは酔った人のようによろめき、ふらついて分別が乱れた。
この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から連れ出された。
主があらしを静めると、波はないだ。波がないだので彼らは喜んだ。そして主は、彼らをその望む港に導かれた。(詩篇107:23~107:30)』と。
ここでは、嵐を起こされたのは主であることが明確にされています。だからこそ、主イエスは眠っておられたのです。彼らが、助けを求めてご自身を起こされるまで。
主イエスは、起き上がって、風と湖をしかりつけられました。すると、大なぎになりました。これは徐々に嵐が静まったことではありません。一瞬にして静まったことを意味しています。あっと言う間の一瞬です。
主イエスは彼らに言われました。
「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」
これはどのようなことなのでしょうか。主は何を言われておられるのでしょうか。
舟に一番最初に乗られたのは誰ですか。主イエスではないですか。私たちの人生と言う舟に最初に乗って、導いておられるのは主イエス様なのです。私たちの人生は決して一人ぼっちではありません。主イエスが共にいて下さいます。
創造主であり、万物を支配し支えておられるのは、真の神様であられる主イエス様なのです。そのお方が、私たちの人生と言う航海に共に乗っていて下さいます。
そうであるとしたら、一体私たちは何を恐れる必要があると言うのでしょう。だからこそ、主イエスは言われたのです。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」
私たちは恐れます。ガリラヤ湖のプロの漁師であったペテロとアンデレ、ヤコブとヨハネ、彼らも恐れました。主イエスが共におられるのを、その目で見ていながらも。
しかし、私たちには、彼らのように、この目で主イエスの姿をじかに見ることも、触れることも出来ません。それではどうしたら良いのでしょうか。
答えはただ一つ。信じることです。信じるのです。主イエスの約束されたみ言葉を。》