◇◆◇日々のみ言葉
2021年1月9日(土)
◎聖書箇所【マタイの福音書9章2節~7節】
9:2 すると、人々が中風の人を床に寝かせたままで、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」と言われた。
9:3 すると、律法学者たちは、心の中で、「この人は神をけがしている。」と言った。
9:4 イエスは彼らの心の思いを知って言われた。「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。
9:5 『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。
9:6 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言って、それから中風の人に、「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」と言われた。
9:7 すると、彼は起きて家に帰った。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からです。この出来事は三つの共観福音書に書き記されています。と言うことは非常に大切な真理を教えていることになるわけです。
マタイは省略していますが、多くの人々が集まっていた為、中風の人を運んで来た四人の友人たちは、シモン・ペテロの家に入ることが出来ず、屋上に上って屋根に穴をあけて、中風の人の寝床を吊り降ろしたのです。主イエスは、その四人の、つまり「彼ら」の信仰をご覧になられたわけです。
そして中風の人に言われました。
「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」と。
この言葉は意外です。本来ならば、主イエスは、「私の心だ。きよくなれ。起きて歩きなさい。」とか言われるはずなのですが、まるで検討違いのような言葉を発せられたからです。
ペテロの家に集まっていたカペナウムの人々、そして中風の人本人と、運んで来た四人の友人たち、そして六人の使徒たち、他の弟子たちは、その言葉を聞きました。おそらく不思議に思ったはずです。
しかし、何とその人々の中にパリサイ人や律法学者たちが数人紛れ込んでいたのです。彼らは心の中で、
「この人は神をけがしている」と、思ったと言うのです。
ルカの福音書には、
『ところが、律法学者、パリサイ人たちは、理屈を言い始めた。「神をけがすことを言うこの人は、いったい何者だ。神のほかに、だれが罪を赦すことができよう。」(ルカの福音書5:21)』と書かれており、心の中で思ったのではなく、小さな声で互いにつぶやいたことになっています。
しかし、主イエスは真の人であると同時に、真の神様でもあられます。彼らが互いに口でささやくその瞬間に、すでに彼らの心の思いを全部読み取られたわけです。
明日もこの続きです。》