◇◆◇日々のみ言葉
2021年3月4日(木)
◎聖書箇所【マタイの福音書10章32節~33節】
10:32「ですから、私を人の前で認める者はみな、私も、天におられる私の父の前でその人を認めます。
10:33 しかし、人の前で私を知らないと言うような者なら、私も天におられる私の父の前で、そんな者は知らないと言います。」
◎ショートメッセージ
《引き続き、弟子たちに対する忠告、あるいは命令から学びます。今日のこの言葉は、いったい何を教えておられるのでしょうか。
何度も言いますが、主イエス様の公生涯初期の頃の出来事なのです。そしてこの時には、主イエス様の名声は高まり、ガリラヤ地方はもちろんのこと、遠く聖都エルサレムにまで広まっていた時でした。
よって、もはや主イエス様だけでは、多くの人々に触れて、悪霊を追い出し、そして病をいやすことは、物理的に限界があったのです。それまでは、弟子たちは主イエス様の御もとに来る人々の整理やケアなどをやっていました。
そんな彼らに、主イエス様は次のように祈ることを言われたのです。
マタイによりますと、
『それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。その時、弟子たちに言われた。
「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送って下さるように祈りなさい。」(マタイの福音書9:35~9:38)』と。
彼らは祈りました。そしてその結果、彼ら自身が遣わされて行くのです。よって、今日のみ言葉で主イエス様が言われた事は、ほとんど起こらないのです。確かに、パリサイ人や律法学者たちからは、反対を受けた事は、あるいはあったかも知れません。
さて、それでは、この勧めはどのような時に適用されるのでしょうか。それは「人々の前」なのです。具体的には、最高議会サンヘドリンの事を指しています。
やがて弟子たちは、最高議会の被告席に立つようになるのです。
それだけではありません。この言葉は、すべてのクリスチャンにも当てはまります。特に、現在のユダヤ社会やイスラム社会においては、まさにこの言葉が意味を帯びて来ると言っても良いでしょう。主イエス・キリストを信じると言うことは、迫害を受けるだけではなく、その民族から追放されることを意味しているからです。
また、過去の日本において、戦国時代から安土桃山時代、そして徳川時代、また明治初期であった頃も、この主の言葉は、まさしく「キリシタン」に成就することになるのです。》