◇◆◇日々のみ言葉
2021年3月8日(月)
◎聖書箇所【マタイの福音書10章38節~39節】
10:38「自分の十字架を負って私について来ない者は、私にふさわしい者ではありません。
10:39 自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、私のために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。」
◎ショートメッセージ
《ここで主イエス様は、初めて「十字架」と言う言葉を使われます。公生涯の初期において、もうすでに「十字架」の予告の預言を弟子たちにしておられるのです。
ピリポ・カイザリヤにおいて、十二使徒と共に村々にでかけられた時、主イエスは彼らにこのように質問します。
マルコの福音書によりますと、
『「人々は私をだれだと言っていますか。」彼らは答えて言った。
「バプテスマのヨハネだと言っています。エリヤだと言う人も、また預言者のひとりだと言う人もいます。」するとイエスは、彼らに尋ねられた。
「では、あなたがたは、私をだれだと言いますか。」ペテロが答えてイエスに言った。
「あなたは、キリストです。」
するとイエスは、自分のことをだれにも言わないようにと、彼らを戒められた。それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日の後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。
しかも、はっきりとこの事がらを話された。するとペテロは、イエスをわきにお連れして、いさめ始めた。しかし、イエスは振り向いて、弟子たちを見ながら、ペテロをしかって言われた。
「下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」
それから、イエスは群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた。
「だれでも私について来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そして私について来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、私と福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。」(マルコの福音書8:27~8:35)』と。
これは、第一回受難予告の時となります。この時から、ご自身の受難と十字架のことをほのめかされるのです。
しかし、今日の日々のみ言葉の聖書箇所においては、主イエス様の言葉は、まだ2年以上先の出来事であって、彼らには、まだその奥義が閉ざされています。よって、主イエス様が言われる言葉の意味が分からないのです。
「自分の十字架」とは何だろうか?
「自分のいのちを自分のもの」とした場合、なぜいのちを失うのだろうか?
「主イエス様の為に、命を失った者」は、なぜ自分のいのちを得られるのだろうか?
明日は、この答えを真剣に考えて見たいと思われます。》