• 2021年3月7日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き8章26節~35節】
    8:26 さて、主の使いがピリポに言った。「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい。」そこは荒野である。
    8:27 そこで、ピリポは立って出かけた。すると見よ。そこに、エチオピア人の女王カンダケの高官で、女王の全財産を管理していた宦官のエチオピア人がいた。彼は礼拝のためエルサレムに上り、
    8:28 帰る途中であった。彼は馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。
    8:29 御霊がピリポに「近寄って、あの馬車と一緒に行きなさい」と言われた。
    8:30 そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが分かりますか」と言った。
    8:31 するとその人は、「導いてくれる人がいなければ、どうして分かるでしょうか」と答えた。そして、馬車に乗って一緒に座るよう、ピリポに頼んだ。
    8:32 彼が読んでいた聖書の箇所には、こうあった。「屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている子羊のように、彼は口を開かない。
    8:33 彼は卑しめられ、さばきは行われなかった。彼の時代のことを、だれが語れるだろう。彼のいのちは地上から取り去られたのである。」
    8:34 宦官はピリポに向かって言った。「お尋ねしますが、預言者はだれについてこう言っているのですか。自分についてですか。それとも、だれかほかの人についてですか。」
    8:35 ピリポは口を開き、この聖書の箇所から始めて、イエスの福音を彼に伝えた。

    ◎メッセージ【エチオピアの宦官】
    《ピリポによって、サマリアの町に大きなリバイバルが起こされました。その直後にエルサレム教会は、使徒ペテロとヨハネをサマリアに送って来たのです。彼らによって、サマリアの人々は聖霊を受けました。彼らは、エルサレムの帰途に着きましたが、サマリアの村々に福音を宣べ伝えて行きました。そんなことが一段落した時のことです。御使いがピリポに現われ語られたのです。
    「立って南へ行き、エルサレムからガザに下る道に出なさい」と。ピリポはすぐに出かけます。すると一台の馬車がやって来ます。御霊がピリポに語ります。
    「近寄って、あの馬車と一緒に行きなさい」と。するとイザヤ書を読んでいる声が聞こえてきます。
    「あなたは、読んでいることが分かりますか。」馬車は止まります。
    「導いてくれる人がいなければ、どうして分かるでしょうか」。この後、ピリポは馬車に同乗します。
     さて、ピリポはこの人物が「エチオピア人の女王カンダケの高官で、女王の全財産を管理していた宦官」であることが分かります。当時、女王に仕える男の家来は去勢されたのです。 また、当時の聖書はすべて手書きによる羊皮紙の巻物であって、非常に高価なものでした。エチオピアの宦官が持っていたのは、ギリシャ語の「七十人訳聖書」であったと思われます。 さて、この宦官が何時、ユダヤ教の信仰を持ったのかは分かりませんが、申命記の規定、『睾丸のつぶれた者、陰茎を切り取られた者は、主の集会に加わってはならない』によって、彼は、異邦人の庭までにしか入ることが許されず、礼拝することは許可されませんでした。 神殿の規定は非常に厳しく、もし改宗者になるとするならば、割礼を祭司から受けなければなりません。しかしその時には宦官である事が明らかになってしまいます。
     よって、彼は熱心に神様を求めながらも、神殿の中に入れず、異邦人の庭でしか礼拝することが出来なかったのです。エチオピアから往復二千キロも費やして、神殿に入れない事から、この宦官は本当に落胆していたことが分かります。
     さて、宦官はイザヤ書を朗読していました。イザヤ書53章は、「悲しみのメシア預言」とも言われています。
    「お尋ねしますが、預言者はだれについてこう言っているのですか。自分についてですか。それとも、だれか他の人についてですか。」
     ピリポは彼に、その箇所から始めて主イエスの事を解き明かしすることになります。
     さて、本日のメッセージの中心ポイントです。なぜ御使いがピリポに命じられたのでしょうか。エレミヤ書には実はこのような事が書き記されています。
    『私を呼べ。そうすれば、私はあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。』
    『あなたがたが私に呼びかけ、来て、私に祈るなら、私はあなたがたに耳を傾ける。あなたがたが私を捜し求めるとき、心を尽くして私を求めるなら、私を見つける。私はあなたがたに見出される。』
     宦官であるが故に、神殿に入って礼拝することを許されない彼は、熱心に神様に祈り願い求めたのです。その願いと祈りが聞き届けられたからこそ、ピリポが遣わされました。
     そして、彼はまことの神様である主イエス・キリストに出会うことになります。大切なことは、熱心に祈り求めることです。神様は、その人が本当に真剣かどうかを見ておられます。主に適った真剣な祈りは、聞き届けられるのです。もちろん「神の時」はありますが。》

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