◇◆◇日々のみ言葉
2021年3月25日(木)
◎聖書箇所【マタイの福音書11章28節~30節】
11:28「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、私のところに来なさい。私があなたがたを休ませてあげます。
11:29 私は心優しく、へりくだっているから、あなたがたも私のくびきを負って、私から学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30 私のくびきは負いやすく、私の荷は軽いからです。」
◎ショートメッセージ
《マタイの福音書11章も最後となります。
このみ言葉は、クリスチャンならば、誰もが良く知っている主イエス様のお言葉でもあります。また多くの人々がこのみ言葉によって、救いの決心をする事も、決して誇張ではないと言えます。まさしく、救い主であられる主イエス様の招きの言葉なのです。
「すべて、疲れた人」とは、誰を指すのでしょうか。言葉通りです。すべての人が疲れを感じるのです。疲れを覚えるのです。
肉体的にも、そして精神的にも全き健康そのものの人であっても、たとえ「私は疲れを知りません」と豪語する人であっても、皆疲れるのです。いいえ、疲れているのです。
「疲れ」には二種類あります。
一つは、肉体の疲れです。
仕事をすれば疲れます。肉体労働をしている人ならば、まさしく疲れを知っています。
もう一つは、精神的な疲れです。
実は、肉体の疲れよりも、この精神的な疲れの方がなおいっそう深刻なのです。肉体の疲れは、美味しい食事をたっぷり食べて、ぐっすり眠りますと、案外いやされます。しかし、精神的疲れは、肉体をも衰えさせるほどの、芯からのまことの疲れなのです。
主イエス様が、ここで言われている「疲れ」とは、後者にあたります精神的な疲れのことです。そして、精神的な疲れとは、魂の疲れであり、その疲れはその人自身の霊さえをも衰えさせるのです。
それゆえに、次の言葉が続きます。「重荷を負っている人」と言う言葉が。
「重荷」とは何でしょうか。
それは、まさしくその人の心に働きかけるものであり、また重くのしかかって来るものなのです。
もし、「重い荷物」を持っていたのなら、それを降ろせば良いのです。しかし、どうしても運ばなければならないのなら、誰かに手伝っていただく必要があります。
主イエス様は言われます。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、私のところに来なさい。私があなたがたを休ませてあげます。」と。明日も同じ箇所からです。》