◎本日の聖書箇所【ヨハネの福音書12章12節~18節】
12:12 その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞いて、
12:13 なつめ椰子の枝を持って迎えに出て行き、こう叫んだ。「ホサナ。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」
12:14 イエスはろばの子を見つけて、それに乗られた。次のように書かれているとおりである。
12:15 「恐れるな、娘シオン。見よ、あなたの王が来られる。ろばの子に乗って。」
12:16 これらのことは、初め弟子たちには分からなかった。しかし、イエスが栄光を受けられた後、これがイエスについて書かれていたことで、それを人々がイエスに行ったのだと、彼らは思い起こした。
12:17 さて、イエスがラザロを墓から呼び出して、死人の中からよみがえらせたときにイエスと一緒にいた群衆は、そのことを証しし続けていた。
12:18 群衆がイエスを出迎えたのは、イエスがこのしるしを行われたことを聞いたからであった。
◎メッセージ【エルサレム入場】
《今日から受難週に入ります。ヨハネの福音書によりますと、『さて、イエスは過越の祭りの6日前にベタニアに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。』と書き記されています。6日前とは、日曜日にあたります。主イエスは十二使徒たちと共に、ベタニアのマルタとマリア姉妹とその弟ラザロの家にやって来たのです。その日の夕食の時に、マリアは純粋で非常に高価なナルドの香油を全部、主イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐいます。
夜が明け、おそらく午後になってから、主イエスの一行はベタニアを後にします。そして、近くの村ベテパゲから、ろばの子に乗ってエルサレムに入場されるのです。
その時、祭りに来ていた群衆が、「ホサナ。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」と叫ぶ言葉と、なつめ椰子の枝を持って出迎えることは、詩篇118篇に預言されています。また、主イエスがろばの子に乗って入場されることは、ゼカリヤ書に、500年以上前に預言されているのです。
しかし、十二使徒たちには、この時その事が分かりませんでした。三日目に復活された主イエスから、直接教えられて彼らは悟るのです。
さて、主イエスがエルサレムに来られたのは、この時が初めてではありません。公生涯を始める前にも何度も来ており、またメシアとして毎年「過越の祭」には、弟子を伴って上られています。それでは、なぜ今回は、ろばの子に乗って入場されたのでしょうか。それには、特別な意味があるからです。
この時、主イエスは神の御子として、そしてユダヤ人の王として来られたからです。それではなぜ神の御子として入場されたのでしょうか。それは「ラザロのよみがえり」と大いに関係があるからです。
ヨハネの福音書には、『さて、イエスがラザロを墓から呼び出して、死人の中からよみがえらせた時にイエスと一緒にいた群衆は、その事を証しし続けていた。群衆がイエスを出迎えたのは、イエスがこのしるしを行なわれた事を聞いたからであった。』と書かれています。
使徒ヨハネは、主イエスが神の御子であることを示す「七つのしるし」を、その福音書に書き記しました。その最後の七番目の奇跡こそが「ラザロのよみがえり」なのです。
この大いなる奇跡を目の当たりに見て主イエスを信じたユダヤ人や、あるいはその事を伝え聞いた人々が、主をエルサレムの門の前において出迎えたのです。
主イエスは、ラザロをよみがえらせる前に、その姉マルタに、「私はよみがえりです。命です。私を信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていて私を信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。」と言われたのです。
この言葉は、マルタ姉妹や十二使徒たちだけでなく、すべてのクリスチャンに向けて語られています。主イエスこそ、真の神様です。そして神様だけが命を握っておられるのです。悪魔は「死」をもたらす存在ですが、私たちの持つ永遠の命を奪うことは出来ません。
主イエスは、受難週の初めの日に、まさしく神の御子として、創造主として、ユダヤ人の王として入場されました。そしてその事をおおやけにされたのです。
私たちは、すでに「永遠の命」が与えられています。私たちには使命が与えられています。この世において成すべき仕事があるのです。》