• 2021年4月25日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【ヨハネの福音書21章9節~14節】
    21:9 こうして彼らが陸地に上がると、そこには炭火がおこされていて、その上には魚があり、またパンがあるのが見えた。
    21:10 イエスは彼らに「今捕った魚を何匹か持って来なさい」と言われた。
    21:11 シモン・ペテロは舟に乗って、網を陸地に引き上げた。網は百五十三匹の大きな魚でいっぱいであった。それほど多かったのに、網は破れていなかった。
    21:12 イエスは彼らに言われた。「さあ、朝の食事をしなさい。」弟子たちは、主であることを知っていたので、だれも「あなたはどなたですか」とあえて尋ねはしなかった。
    21:13 イエスは来てパンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。
    21:14 イエスが死人の中からよみがえって、弟子たちにご自分を現されたのは、これですでに三度目である。

    ◎メッセージ【朝の食事において】
    《「私は漁に行く」
     シモン・ペテロと四人の使徒、他の二人の弟子たちは出漁しました。夜通し様々なポイントに網を降ろしたのですが、何も捕れません。その時、岸辺から声がかかります。
    「網を右に打ちなさい。そうすれば捕れます」
     その言葉通りにしますと、何とたくさんの大きな魚が掛かったのです。さて、彼らが魚のはいった網を舟と共に運んで来ますと、そこには炭火がおこされていたのです。
     主イエスは「山上の垂訓」において、弟子たちに約束されたのです。
    『「ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。」』と。
    「さあ、朝の食事をしなさい。」
     暖かい炭火と、焼かれた香ばしいパンと魚も、主イエス様が用意して下さいました。漁に出た使徒と弟子たちはお腹が空ききっていました。これは、別な場所で待機していた他の使徒たちも同じです。それゆえ、この「朝の食事」には、十一使徒全員が揃っているはずです。
     この時、主イエスは、パンを取り彼らに与え、また魚も同じようにして彼らに与えられます。実はこれにも意味があるのです。四つの福音書すべてに描かれた奇跡があります。それは「五千人の給食」のことです。ルカの福音書によれば、
    『「群衆を解散させて下さい。そうすれば、彼らは周りの村や里に行き、宿をとり、何か食べることができるでしょう。私たちは、このような寂しいところにいるのですから。」
     あなたがたが、あの人たちに食べる物をあげなさい。」
    「私たちには五つのパンと二匹の魚しかありません。私たちが出かけて行って、この民全員のために食べ物を買うのでしょうか。」
    「人々を、五十人ぐらいずつ組にして座らせなさい。」
     弟子たちは全員を座らせた。そこでイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げ、それらのゆえに神をほめたたえてそれを裂き、群衆に配るように弟子たちにお与えになった。人々はみな、食べて満腹した。』と書かれています。
     この奇跡こそ、主イエスが、ご自身を信じ従う者たちに食事を与えて下さること、また用意して下さることの確固たる約束であり、その証なのです。
     私たちは肉体を持っています。主イエス様も同じく体を持たれたのです。主は空腹も、また喉の渇きも知っておられます。
     実は、今日食べた朝食も、そしてこれから食べるランチも、また夕食も、本当は父なる神様が、主イエス様が私たちの為に用意して下さった「食事」なのです。このことを私たちは、決して忘れてはならないのです。
     この時の朝の食事は、シモン・ペテロに取っては、その生涯において、忘れ得ぬ大きな出来事であったのです。後ほど、イタリア隊百人隊長コルネリオに彼はこう証ししています。
    『「私たちは、イエスがユダヤ人の地とエルサレムとで行なわれたすべてのことの証人です。人々はこの方を木にかけて殺しました。しかし、神はこのイエスを三日目によみがえらせ、現われさせて下さいました。しかし、それはすべての人々にではなく、神によって前もって選ばれた証人である私たちにです。私たちは、イエスが死者の中からよみがえられて後、ご一緒に食事をしました。」』
     この「食事」こそが、ガリラヤ湖畔で、ペテロが味わった食事であったと思われます。
    『見よ、私は戸の外に立ってたたいている。だれでも、私の声を聞いて戸を開けるなら、私はその人の所に入って彼と共に食事をし、彼も私と共に食事をする。』
     主イエスはよみがえられました。今も生きておられます。そして今日も私たちの為に食事を用意して下さり、共に食卓の席について下さるのです。》

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