◇◆◇日々のみ言葉
2021年4月28日(水)
◎聖書箇所【マタイの福音書12章31節~32節】
12:31「だから、私はあなたがたに言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、聖霊に逆らう冒涜は赦されません。
12:32 また、人の子に逆らう言葉を口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。」
◎ショートメッセージ
《ここで、主イエスは赦されない罪に関して語っておられます。
まず初めに主は、「人はどんな罪も冒涜も赦していただけます」と言われていますが、これは、罪を犯した者が無条件に赦されるのではなく、自分の罪を悔い改めて、主イエスの御もとにひざまづいた場合に限られるのです。
そして、「人の子に逆らう言葉を口にする者でも、赦されます」と言われていますが、これも、主イエスに逆らい、あるいは呪った者であっても、同じく、自分の罪を悔い改めて、主の御もとにへりくだって、ひざまずいた場合に限られます。
よって、罪を示されても、悔い改めず、主イエスを否定し続ける者は、やがてその報いと裁きを受けることになるのは、言うまでもありません。
さて、それでは「聖霊に逆らう冒涜は赦されません」とは、また「聖霊に逆らうことを言う」こととは、どのようなことなのでしょうか。
まず、パリサイ人や律法学者たちは、主イエスに向かって何と言いましたか。
「この人は、ただ悪霊どもの頭ベルゼブルの力で、悪霊どもを追い出しているだけだ。」
この時、彼らは何を目撃しましたか。
『その時、悪霊につかれた、目も見えず、口もきけない人が連れて来られた。イエスが彼をいやされたので、そのおしはものを言い、目も見えるようになった。』
目が見えず話せなかった人が、主イエスによっていやされたのです。これは悪い行ないでしょうか。いいえ、これは誰が見ても良い行ないであるわけです。特に、いやされた人にとっては、どれほど感謝なことであったでしょうか。
このような「良い行ない」を、意思を持って、あえて「悪い行ない」と言うことこそ、聖霊を冒涜することなのです。
主イエスは、紛れもなく神の御子です。その成された奇跡の御わざがそれを証明しています。それを知っているのもかかわらず、パリサイ人や律法学者たちは、主イエスを、悪霊の仲間と呼んでいるわけです。
「良いもの」を「悪いもの」と言うだけでなく、「悪いもの」を「良いもの」と、あえて言うことも、赦されない罪に値するのです。
主は、「聖霊」のことをこのように言われました。
『「しかし、私は真実を言います。私が去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もし私が去って行かなければ、助け主があなたがたの所に来ないからです。しかし、もし行けば、私は助け主をあなたがたの所に遣わします。その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。罪についてというのは、彼らが私を信じないからです。」(ヨハネの福音書16:7~16:9)』と。
そしてさらに続けて、主は「赦されない罪」について教えられます。》