• 2021年5月16日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き1章8節~12節】
    1:8 「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、私の証人となります。」
    1:9 こう言ってから、イエスは使徒たちが見ている間に上げられた。そして雲がイエスを包み、彼らの目には見えなくなった。
    1:10 イエスが上って行かれるとき、使徒たちは天を見つめていた。すると見よ、白い衣を着た二人の人が、彼らのそばに立っていた。
    1:11 そしてこう言った。「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」
    1:12 そこで、使徒たちはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムに近く、安息日に歩くことが許される道のりのところにあった。

    ◎メッセージ【主イエスの昇天】
    《来週23日はペンテコステです。よって本日は、昇天記念礼拝となります。主イエスは、ご自身が十字架に掛けられること、三日目によみがえることを、少なくとも三回は預言されましたが、昇天については、二回ほどされています。一回目は、エルサレム神学校長ニコデモに対してです。公生涯における最初の過越の祭であるエルサレム訪問時に、夜遅くニコデモが主イエスと弟子たちの所に尋ねて来ました。
     そして数回のやり取りの後、主はこう言われます。『「誰も天に上った者はいません。しかし、天から下って来た者、人の子は別です。モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。それは、信じる者が皆、人の子にあって永遠の命を持つ為です。」』
     また、ご自身が「生ける命のパン」であることを語られた時に、つまずいた弟子たちに対して、「私の話があなたがたをつまずかせるのか。それなら、人の子がかつていた所に上るのを見たら、どうなるのか。」と言われました。もちろん、使徒たちも聞いています。
     それでは、主イエスはどこにおいて昇天されるのでしょうか。ルカの福音書によれば、
    『それからイエスは、弟子たちをベタニアの近くまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らから離れて行き、天に上げられた。』となっています。
     この時、「大宣教命令」がなされ、「聖霊降臨」の預言がなされ、以前に話されたように、オリーブ山から登って行かれるのです。
     主は両手を挙げ、弟子たちを祝福し、彼らの見ている中、徐々にゆっくりと空中に登って行かれます。まさしく天から降って来た神の御子は、もといた場所に帰って行かれます。
     そして雲の中に見えなくなります。これこそが、昼間の証拠です。十一使徒たちは、しばらく空を見上げていますと、そこへ二人の御使いが現われ、告げ知らせるのです。
    「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」
     ゼカリヤ書には、「主の日」の預言が書き記されています。「その日、主の足はエルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ」と。主イエスが地上から離れた、まさにその同じ場所に、主は降り立つのです 
     主イエスは弟子たちに言われました。「私の証人となります」と。
     実は、この言葉は弟子たちだけに向けられた言葉ではありません。すべてのクリスチャンに対してです。イザヤ書には、このような預言が書き記されています。
    『あなたがたは私の証人、私が選んだ私のしもべである。これは、あなたがたが知って、私を信じ私がその者であることを悟るためだ。私より前に造られた神はなく、私より後にも、それはいない。私、この私が主であり、他に救い主はいない。』と。
     私たちも、弟子たちと同じように、「主の証人」なのです。主イエスは、今も生きておられること、やがて再臨されること、主を信じる者には、「永遠のいのち」が与えられることを証しするのです。
     主イエスは、確かに今から二千年ほど前に、お生まれになりました。創造主なる神様が人となってこの地上に降られたのです。そして、すべての人の罪を背負われ、十字架にかかって死んで下さいました。しかし、三日目によみがえらえたのです。生きておられるその証拠を、弟子たちに示され、復活から四十日目に、オリーブ山から昇天され、天に戻って行かれました。しかし、時が満ちれば、再び来られるのです。
     コロナの時代、まさに終わりの時代です。戦時中を除いて、今ほど、「死」が身近に感じられるような時は、ないかと思われます。
     しかし、主イエスを信じる者は、誰であろうと、たとえ肉体が滅びようとも、霊が再創造され、魂の救いを受けているのです。今主イエスは、天において父なる神様の右の御座に座しておられます。そして、私たちの霊も、その同じ場所に主イエス様と共に置かれています。創造主なる神様と、私たちは共にいるのです。》

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