• 2021年5月30日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き2章14節~41節抜粋】
    2:14 ペテロは十一人と共に立って、声を張り上げ、人々に語りかけた。「ユダヤの皆さん、ならびにエルサレムに住むすべての皆さん、あなたがたにこのことを知っていただきたい。私の言葉に耳を傾けていただきたい。
    2:15 今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが思っているように酔っているのではありません。
    2:16 これは、預言者ヨエルによって語られたことです。
    2:22 イスラエルの皆さん、これらの言葉を聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと不思議としるしを行い、それによって、あなたがたにこの方を証しされました。それは、あなたがた自身がご承知のことです。
    2:23 神が定めた計画と神の予知によって引き渡されたこのイエスを、あなたがたは律法を持たない人々の手によって十字架につけて殺したのです。
    2:24 しかし神は、イエスを死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、あり得なかったからです。
    2:32 このイエスを、神はよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。
    2:33 ですから、神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。
    2:36 ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」
    2:37 人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。
    2:38 そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。
    2:39 この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです。」
    2:40 ペテロは、ほかにも多くの言葉をもって証しをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って、彼らに勧めた。
    2:41 彼の言葉を受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。

    ◎メッセージ【朝の九時】
    《先週はペンテコステ礼拝でした。今日は聖霊が降られた日に何が起こったのかを、もう一度、共に考えて行きたいと思います。さて、主イエスがなされた約束通りに、聖霊はヨハネ・マルコの家にいた十二使徒たちの所へ降って来られました。その時、ものすごい地響きが起こったのです。その時間は朝の九時でした。しかもその日は、過越の祭から数えて五十日目の日、すなわち五旬節の祭を迎えていたのです。その大きな物音を聞いて、大勢のユダヤ人たちが集まってきたのです。しかもこの人々は、ディアスポラと呼ばれたユダヤ人で、純粋にパレスチナで育ったユダヤ人と違って、ギリシャ語で読み書き話す人々であったのです。
     彼らは、パルティア人、メディア人、エラム人、またメソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントスとアジア、フリュギアとパンフィリア、エジプト、クレネに近いリビア地方などに住む者と滞在中のローマ人やクレタ人とアラビア人でした。
     シモン・ペテロは、二階から集まって来た人々に、聖霊に満たされた最高の伝道メッセージを語り始めます。
    「ユダヤの皆さん、ならびにエルサレムに住むすべての皆さん、あなたがたにこのことを知っていただきたい。私の言葉に耳を傾けていただきたい。今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが思っているように酔っているのではありません。これは、預言者ヨエルによって語られたことです。」と、ヨエル書や詩篇から引用し、彼らの知っている聖書箇所から導いて行きます。
    そして、
    「神が定めた計画と神の予知によって引き渡されたこのイエスを、あなたがたは律法を持たない人々の手によって十字架につけて殺したのです。ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」と、明確に彼らの罪を指し示すのです。
     故郷イスラエルの聖都エルサレムにおいて、催される三大祭に巡礼することが、世界各地に離散しているユダヤ人の願いでした。特に、ディアスポラと呼ばれたユダヤ人は、ローマ帝国内の様々な国に散らばっており、彼らは大変に裕福であって、エルサレム市内に自分の家(別荘)を持っていたのです。彼らは、過越の祭の一週間前にエルサレムに到着し、身を清め、備えると共に、過越の祭を巡礼し、そして五十日目に行なわれる「五旬節の祭」の週を過ごしてから、それぞれの国に戻ることが慣わしとなっていました。つまり、彼らは、主イエスのエルサレム入場であるシュロの日の日曜日には、すでにエルサレムに到着しており、そして主イエスの十字架の時にも、その場にいたことになります。
     主イエスは、宗教的裁判を二回(アンナスとカヤパ)、そして政治的裁判を三回(ピラトの一回目、国主ヘロデ、そしてピラトの最終裁判)を受けられました。特に最後の裁判においてはどちらのイエスを選ぶのか、ピラトは群衆に問うたのです。
    「おまえたちはだれを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか、それともキリストと呼ばれているイエスか。」
     しかし、群衆は、バラバ・イエスの釈放を要求し、キリストと呼ばれるイエスの十字架刑を要求したのでした。
    「十字架につけろ。」
     つまり、今ヨハネ・マルコの家の前に集まってきた群衆は、「十字架につけろ」と叫んだ者たちなのです。それゆえ、彼らはシモン・ペテロの伝道メッセージに心を刺されたのです。
     主イエスは、最後の晩餐において、弟子たちにこのように約束されました。
    『「私はあなたがたのところに助け主を遣わします。その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかになさいます。罪についてというのは、彼らが私を信じないからです。」』と。
     この約束通りに、聖霊が降って来られました。そしてこの方は、集まって来た群衆に罪を示されたのです。主イエスを十字架につけた罪を。主イエスを信じなかった罪を。
     シモン・ペテロは、招きをします。
    「それぞれ罪を赦していただく為に、悔い改めてイエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。この曲がった時代から救われなさい。」と。
     その日、ペテロの言葉を受け入れた人々はバプテスマを受けました。何と三千人が、新たに仲間に加えられたのです。ここにエルサレム初代教会が誕生します。
     リバイバルは聖霊が起こされるものなのです。そしてリバイバルのきっかけは、いつも同じです。それは小さな集まりから始まると言う事です。この教会が、日本のリバイバルの一端を担うことが出来たのならと、願って止みません。たとえそうでなくとも、他の教会からリバイバルの火が燃え始めたなら、私たちは大いに協力して行こうではありませんか。》

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