• 日々のみ言葉 2021年6月3日(木)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2021年6月3日(木)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書13章47節~51節】
    13:47「また、天の御国は、海におろしてあらゆる種類の魚を集める地引き網のようなものです。
    13:48 網が一杯になると岸に引き上げ、すわり込んで、良いものは器に入れ、悪いものは捨てるのです。
    13:49 この世の終わりにもそのようになります。御使いたちが来て、正しい者の中から悪い者をえり分け、
    13:50 火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。
    13:51 あなたがたは、これらのことがみなわかりましたか。」彼らは「はい。」とイエスに言った。

    ◎ショートメッセージ
    《引き続き同じ箇所からとなりますが、明日は先に行きましょう。
     今日は、主イエスによるこのたとえの解き明かしの中における「正しい者の中から悪い者をえり分け」ることについて、これはどのような意味なのか考えたいと思います。

     実は、この解釈も二通りあるのです。それは、主イエス様が言われた「羊と山羊」のたとえから計り知れることです。

    『「人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、羊を自分の右に、山羊を左に置きます。そうして、王は、その右にいる者たちに言います。
    『さあ、私の父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。あなたがたは、私が空腹であったとき、私に食べる物を与え、私が渇いていたとき、私に飲ませ、私が旅人であったとき、私に宿を貸し、私が裸のとき、私に着る物を与え、私が病気をしたとき、私を見舞い、私が牢にいたとき、私をたずねてくれたからです。まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらの私の兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、私にしたのです。』
     それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。
    『のろわれた者ども。私から離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。おまえたちは、私が空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、私が旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、私にしなかったのです。』
    こうして、この人たちは永遠の刑罰にはいり、正しい人たちは永遠の命にはいるのです。」(マタイの福音書25:31~25:46抜粋)』

     一つの解釈は、「正しい者」すなわちクリスチャンの中から、主イエスが羊と山羊とを分けられると言うことになります。しかも、それは「行ない」が基準になるわけです。私は、この解釈を支持しない立場です。

     なぜなら、もしそうだとしたら、主イエス様の十字架によって流された尊い血潮が無駄になってしまうからです。それだけでは、救いは完成しないことになってしまいます。

     よって、多くの学者が唱えていますように、「救われた者(羊)」と「救われていない者(山羊)とに分けられると言うことです。しかし、これでは誤解が生じるかも知れません。
     「主イエス様の十字架の贖いを受け入れた者(羊)」と「主イエス様をあえて拒んだ者(山羊)」と、主ご自身が分けられると言う解釈を私は支持したいと思います。》

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