◇◆◇日々のみ言葉
2021年7月8日(木)
◎聖書箇所【マタイの福音書16章8節~12節】
16:8 イエスはそれに気づいて言われた。「あなたがた、信仰の薄い人たち。パンがないからだなどと、なぜ論じ合っているのですか。
16:9 まだわからないのですか。覚えていないのですか。五つのパンを五千人に分けてあげて、なお幾かご集めましたか。
16:10 また、七つのパンを四千人に分けてあげて、なお幾かご集めましたか。
16:11 わたしの言ったのは、パンのことなどではないことが、どうしてあなたがたには、わからないのですか。ただ、パリサイ人やサドカイ人たちのパン種に気をつけることです。」
16:12 彼らはようやく、イエスが気をつけよと言われたのは、パン種のことではなくて、パリサイ人やサドカイ人たちの教えのことであることを悟った。
◎ショートメッセージ
《弟子たちは、ペテロの持ち舟に乗って、主イエスと共に向こう岸に行きましたが、「四千人の給食」の奇跡の時に余ったパンを持って来るのを忘れてしまいました。
おそらく、主イエスが群衆を解散させている時に、いつものように弟子たちを強いて舟に乗り込ませたからだと言えます。
『それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた。(マタイの福音書14:22)』と書かれていますように。
さて、舟の中で主エスは彼らに言われました。
「パリサイ人やサドカイ人たちのパン種には注意して気をつけなさい。」と。
すると、彼らは議論を始めたのです。
「これは私たちがパンを持って来なかったからだ。」と。
そこで主イエスは、それに気づいて彼らに言われたのです。
「あなたがた、信仰の薄い人たち。」と。
この言葉は、十二弟子たちだけでなく、今生きています私たち、主イエスを信じ従う者たちにも向けて語られています。
実際問題として、私たちは、信仰の厚い者と、自ら言えるのでしょうか。最初から信仰の厚い者などは、誰一人いません。信仰は、神様からのたくさんの恵みと哀れみを受けることによって与、えられるものではないからです。信仰は、試練によってのみ、増し加えられるのです。
何度も書き記していますが、何もかもが上手く行き、順風満帆に人生を送っている人が、主イエスに出会うことは、なかなか難しいとも言えます。
人は、荒れ狂う嵐の中で、主イエスに出会う場合が多いのです。もちろん、私自身の経験からもここで言わせていただいています。
「あなたがた、信仰の薄い人たち。」
この言葉よりも、主イエスから、「あなたの信仰は立派です。」と言われてみたいものです。明日も同じ箇所からとなります。」》