◎本日の聖書箇所【使徒の働き10章1節~8節】
10:1 さて、カイサリアにコルネリウスという名の人がいた。イタリア隊という部隊の百人隊長であった。
10:2 彼は敬虔な人で、家族全員と共に神を恐れ、民に多くの施しをし、いつも神に祈りをささげていた。
10:3 ある日の午後三時ごろ、彼は幻の中で、はっきりと神の御使いを見た。その御使いは彼のところに来て、「コルネリウス」と呼びかけた。
10:4 彼は御使いを見つめていたが、恐ろしくなって言った。「主よ、何でしょうか。」すると御使いは言った。「あなたの祈りと施しは神の御前に上って、覚えられています。
10:5 さあ今、ヤッファに人を遣わして、ペテロと呼ばれているシモンという人を招きなさい。
10:6 その人は、シモンという皮なめし職人の所に泊まっています。その家は海辺にあります。」
10:7 御使いが彼にこう語って立ち去ると、コルネリウスはしもべたちのうち二人と、彼の側近の部下のうち敬虔な兵士一人を呼び、
10:8 すべてのことを説明して、彼らをヤッファに遣わした。
◎メッセージ【カイサリアのコルネリウス】
《カイサリアとは、パレスチナの地中海沿岸にある港町で、ここにはローマ総督が駐在し、ローマ軍イタリア隊の駐屯所がありました。
イタリア隊とは、イタリヤで召集された、600の兵力を持つエリート部隊で、まさにユダヤの守りの中核として配置されていました。エルサレムに近いことから、「過越の祭」の時には、常に応援にかり出されてたとも思われます。
そのイタリア隊の百人隊長の一人がコルネリウスです。彼はユダヤ教徒でした。しかもコルネリオだけではなく、彼の家族全員が信仰を持っていたのです。彼は多くの施しを民に行なっていたのです。
コルネリオが、定められた午後三時頃に祈っていますと、神の御使いが現われたのです。「コルネリウス。あなたの祈りと施しは神の御前に上って、覚えられています。」
この言葉は、まさしく私たちをも元気づけるものです。詩篇の著者はこう述べています。
『確かに神は聞き入れ私の祈りの声に耳を傾けて下さった。ほむべきかな神。神は私の祈りを退けず御恵みを私から取り去られなかった。』と。
神様は、私たちの祈りを聞いて下さっています。たとえ、どんなに小さな祈りと願いであっても、その祈りは神様の元に届いているのです。そして、施しさえも、覚えられています。
ヘブル人への手紙の著者はこう述べています。
『神は不公平な方ではありませんから、あなたがたの働きや愛を忘れたりなさいません。あなたがたは、これまで聖徒たちに仕え、今も仕えることによって、神の御名のために愛を示しました。』と。
すなわち、私たちが誰かの為に成したことは、すべて神様に覚えられており、また決して忘れてはおられないと言うことです。私たちが何かを人の為にするならば、それは主イエスの為にしたことになり、天において、書き留められているのです。
神様は、コルネリウスの願いと祈りを聞き届けられたのです。御使いは続けます。
『さあ今ヤッファに人を遣わして、ペテロと呼ばれているシモンという人を招きなさい。その人は、シモンという皮なめし職人の所に泊まっています。その家は海辺にあります。」』と。
そこでコルネリウスは、しもべ二人と、彼の側近の部下一人をヨッパに遣わしたのです。 ルカは、コルネリウスの救いの出来事において、多くのページを割いていますが、それは、この事が発端となって、いよいよ福音が異邦人に開かれることになるからです。
私たちの祈りも施しも神様はすべて覚えておられます。では、なぜ未だに成就しない祈りと願いがあるのでしょうか。それは、時が有るからです。コルネリウスの時も、神様が定められていた時があったのです。祈りが成就する為には、シモン・ペテロがヨッパに遣わされ、皮なめし職人シモンの家に滞在する必要があったからです。
私たちがすべきことは、まず感謝をすることです。父なる神様を、主イエス様を、聖霊様を誉め讃えることです。礼拝することです。そして待つことです。祈りは必ず聞き届けられます。》