◎本日の聖書箇所【使徒の働き10章9節~16節】
10:9 翌日、この人たちが旅を続けて、町の近くまで来たころ、ペテロは祈るために屋上に上った。昼の十二時ごろであった。
10:10 彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。ところが、人々が食事の用意をしているうちに、彼は夢心地になった。
10:11 すると天が開け、大きな敷布のような入れ物が、四隅をつるされて地上に降りて来るのが見えた。
10:12 その中には、あらゆる四つ足の動物、地を這うもの、空の鳥がいた。
10:13 そして彼に、「ペテロよ、立ち上がり、屠って食べなさい」という声が聞こえた。
10:14 しかし、ペテロは言った。「主よ、そんなことはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」
10:15 すると、もう一度、声が聞こえた。「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない。」
10:16 このようなことが三回あってから、すぐにその入れ物は天に引き上げられた。
◎メッセージ【シモン・ペテロの見たまぼろしとは?】
《さて、シモン・ペテロは祈るために、皮なめし職人シモンの家の屋上に上りました。時は、昼の正午頃のことで、食事の用意の匂いも漂って来ます。ペテロは空腹を覚え、何か食べたいと思ったのです。そうしていますと、彼は夢心地になったのです。すると、主イエスによる幻がやって来ました。天が開け、大きな敷布のような入れ物が、四隅をつるされて地上に降りて来ます。その中には、あらゆる忌み嫌われた四つ足の動物や空の鳥がいたのです。
実は、この光景は、かつてカペナウムの彼の家にて行なわれた、中風の人のいやしの場面と連携しています。申命記には、
『あなたは、忌み嫌うべきものは、どのようなものも食べてはならない。豚もそうである。ひづめは分かれているが、反芻しないので、あなたがたには汚れたものである。その肉を食べてはならない。また、その死骸に触れてもいけない。』と書かれています。異邦人であるローマ人やギリシャ人は好んで豚肉を食べていたのです。主イエスの声が響きます。
「ペテロよ、立ち上がり、屠って食べなさい。」
「主よ、そんなことはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」
彼は主イエスに出会い、使徒として選ばれましたが、ユダヤ人の生活習慣は変えてはおらず、律法に従って歩んでいたのです。
「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない。」
この言葉は、後に第一回教会会議におけるペテロの重要な発言を引き出すことになります。このようなことが三回あってから、すぐにその入れ物は天に引き上げられた、と書かれていますが、主イエスとペテロのやり取りが三回、そのまま繰り返されたことになります。
ところで、ペテロが三回と言うことを体験するのは、何とこれが三度目となります。最初は、最後の晩餐の時です。主イエスはペテロに言われます。
「まことに、あなたに言います。あなたは今夜、鶏が鳴く前に三度私を知らないと言います。」』このことは、大祭司の家の庭の焚き火において成就します。しかも三度目は、主イエスが振り向かれ、ペテロを見つめます。その時、ペテロは悟るのです。
次の三回は、ガリラヤ湖畔の朝の食事の時です。「ヨハネの子シモン。あなたは私を愛していますか」と、主イエスは三度言われます。特に三度目には、ペテロは心を痛めるのです。そしてその後、主イエスが彼に言われたことは、「私に従いなさい」と言うことでした。
ここからも分かりますように、ペテロは強情なのです。しかし、これは彼だけに限らず、実は私たちも同じように、心が頑な者なのです。つまり、三度の失敗でようやく悟るわけです。このまぼろしは異邦人の救いにつながります。この後、コルネリウスと家族全員が救われ、ペテロは、数日、彼の家に留まることになります。もちろん食事も一緒に共にします。そして、この時ペテロは、初めて、おいしい豚肉料理を食べたと私は信じています。
後に行なわれた、第一回教会会議の激しい論争をストップさせ、エルサレム教会初代牧師、主の兄弟ヤコブによる決議事項を引き出す「証し」をペテロはすることになります。
さて、私たちは、未だに頑な心を持っています。幼子のように柔らかな心を持って、私たちの救い主、主イエスを信じ信頼しようではありませんか。このお方が、世界の真の支配者なのですから。「あなたがたには艱難があります。しかし勇敢でありなさい。私はすでに世に勝ったのです。」と主は言われます。》