• 日々のみ言葉 2021年7月21日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2021年7月21日(水)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書16章24節~27節】
    16:24 それから、イエスは弟子たちに言われた。「誰でも私について来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そして私について来なさい。
    16:25 いのちを救おうと思う者はそれを失い、私のためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。
    16:26 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。
    16:27 人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちと共に、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおのその行ないに応じて報いをします。」

    ◎ショートメッセージ
    《昨日と同じ箇所からです。
    「誰でも私について来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そして私について来なさい。」

     この言葉の意味は、常に「主イエスの身代わりとしての十字架」を掲げて、主の弟子として生きて行くことです。もちろん主イエスの語られたみ言葉に従いながら。

     次に言われたことは、かなり難しいことです。よって現代訳を掲載します。
    『自己保身的な人は、かえって大事な命を失ってしまう結果となり、私のために、自分の命を犠牲にする人は、それを本当に自分のものとすることができます。』

     実は、主イエスが言われています「命」は、二つあるのです。一つは肉体の命、そしてもう一つは永遠の命のことです。

     ここで言われる「大事な命」とは、永遠の命のことです。また「自分の命」とは、肉体の命のことです。そして「本当に自分のもの」になる命も、永遠の命のことです。そして、次に主が言われます「まことのいのち」も、永遠の命を指しています。

     父なる神様の願いと命令は、ヨハネの福音書3章16節に要約されています。
    『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネの福音書3:16)』と。

     携挙が成就するその瞬間は別として、人は一度死ぬことと、死後裁きを受けることが定められています。この世に生まれて来た人間は、誰もが「死の門」をくぐらなければなりません。
     主イエスが言われている真の意味は、迫害における殉教を暗示しています。かつて日本において行なわれました「踏み絵」こそが、もっとも主イエスの言葉が真実であったことを証ししていると思えるのです。

     戦国時代、すなわち安土桃山時代、多くのカトリック教会のキリシタンが殉教して行きました。彼らはこの世では、確かに幸薄い人生でありましたが、今は、主イエスの御元におられるのです。明日も引き続き同じ箇所からです。》

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