◇◆◇日々のみ言葉
2021年8月11日(水)
◎聖書箇所【マタイの福音書18章1節】
18:1 そのとき、弟子たちがイエスのところに来て言った。「それでは、天の御国では、誰が一番偉いのでしょうか。」
◎ショートメッセージ
《今日から、マタイの福音書の学びも18章に入ります。
この記事は、三つの共観福音書に掲載されていますが、マルコとルカの福音書に書き記されている並行記事は、マタイの記事と異なっています。
マタイの福音書では、カペナウムのシモン・ペテロの家に入った時に、弟子たちの方から主イエスに質問することになっています。
「それでは、天の御国では、誰が一番偉いのでしょうか。」と。
マルコの福音書の並行記事は、
『カペナウムに着いた。イエスは、家にはいった後、弟子たちに質問された。
「道で何を論じ合っていたのですか。」
彼らは黙っていた。道々、誰が一番偉いかと論じ合っていたからである。(マルコの福音書9:33~9:34)』となっており、
ルカの福音書では、
『さて、弟子たちの間に、自分たちの中で、だれが一番偉いかという議論が持ち上がった。(ルカの福音書9:46)』となっています。
つまり弟子たちが質問する前に、主イエスの方から、「道で何を論じ合っていたのですか。」と聞いてきたことになっています。
弟子たちの中で誰が一番偉いのか、と言う議論は、最後の晩餐においても起こります。
ルカの福音書によりますと、
『「しかし、見なさい。私を裏切る者の手が、私と共に食卓にあります。人の子は、定められたとおりに去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はのろわれます。」
そこで弟子たちは、そんなことをしようとしている者は、いったいこの中のだれなのかと、互いに議論をし始めた。また、彼らの間には、この中で誰が一番偉いだろうかという論議も起こった。(ルカの福音書22:21~22:24)』と書かれてあります。
この時から約12時間後に、主イエスは、ゴルゴタの丘で十字架にかけられます。その直前にも関わらず、弟子たちは、互いの間で、自分の方が優れている、と言い争そったと言うのです。これが人間なのです。この時の主イエスは、悲しい顔をされたに違いありません。
主イエスは、何時も微笑んでおられたと、私は信じています。それが当たり前であったからこそ、違う表情をされたことが、福音書に書き記され、残されているのです。
たとえば、「悲しまれた」「泣かれた」「怒られた」などと言うようにです。》