◇◆◇日々のみ言葉
2021年9月15日(水)
◎聖書箇所【マタイの福音書19章21節~26節】
19:21 イエスは、彼に言われた。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、私について来なさい。」
19:22 ところが、青年はこの言葉を聞くと、悲しんで去って行った。この人は多くの財産を持っていたからである。
19:23 それから、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国にはいるのはむずかしいことです。
19:24 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」
19:25 弟子たちは、これを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、誰が救われることができるのでしょう。」
19:26 イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」
◎ショートメッセージ
《昨日の続きです。主イエスが弟子たちに言われたことの内容について考えます。
主イエスは、十二使徒に言われました。
「まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国にはいるのはむずかしいことです。まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」と。
『らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。』と言う言葉は、当時のユダヤのことわざ(言い回し)になります。その意味は、不可能です。
すると、弟子たちは、この言葉を聞くと、たいへん驚きます。
「それでは、誰が救われることができるのでしょう。」
しかし、この質問は的を得てはいないと思われます。主イエスが言われたことは、「金持ちが天の御国にはいるのはむずかしい」と言うことであり、誰もが救われることがむずかしい、と言う意味ではないからです。
それでは、なぜ金持ちが救われることがむずかしいのでしょうか。それは、貧しい人たちのように、救いの必要性を強く感じていることがなく、またこの世の生活が十分過ぎるほどに満たされているからです。
しかし、これは何も当時のユダヤにだけ限ったことではありません。現在の世界においても、金持ちの人が救われることは、非常にむずかしく、また救われる人の何と少ないことなのでしょう。
なぜなら彼らの神様は、この世であり、富であり、お金であるからです。そして、彼らが仕えているその実態は、この世の神である悪魔(サタン)の何物でもないのです。まさに人は、真の神様と富との両方に仕えることは出来ないのです。
主イエスは弟子たちをじっと見ます。この言葉も重要です。意味があるからです。
「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」
この言葉は、預言です。主イエスは、十二使徒の質問を非常に喜ばれたと私は思っています。その真意は、「私の腕前をとくとご覧あれ」であると思うのです。明日は、今日の箇所における総括になります。》