• 日々のみ言葉 2021年9月19日(日)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2021年9月19日(日)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書20章1節~7節】
    20:1「天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。
    20:2 彼は、労務者たちと一日一デナリの約束ができると、彼らをぶどう園にやった。
    20:3 それから、九時頃に出かけてみると、別の人たちが市場に立っており、何もしないでいた。
    20:4 そこで、彼はその人たちに言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当のものを上げるから。』
    20:5 彼らは出て行った。それからまた、十二時頃と三時頃に出かけて行って、同じようにした。
    20:6 また、五時頃出かけてみると、別の人たちが立っていたので、彼らに言った。『なぜ、一日中仕事もしないでここにいるのですか。』
    20:7 彼らは言った。『だれも雇ってくれないからです。』彼は言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。』」

    ◎ショートメッセージ
    《「ただ、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。」

     この言葉の真意を伝える為に、主イエスは弟子たちに、「ぶどう園の労務者のたとえ」を話されました。今日から三日間をかけて、じっくり学んで行きたいと思います。

     シモン・ペテロが、主イエスに質問しました。
    「ご覧下さい。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょうか。」と。

     実は、この質問こそが、主イエスのこのたとえの答えを引き出しているのです。それに対して、まず初めに、直接の報いに対して主は答えられます。
    「まことに、あなたがたに告げます。世が改まって人の子がその栄光の座に着く時、私に従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。」と。

     しかし、ペテロの心の中にある大きな誤解、もっと具体的に言うならば、自分が払った犠牲に対する報い、それ相応の価値、あるいは見合った代価を要求する心に対して、主イエスは言及されるのです。
     つまり人間は、どこまで行っても「自己中心」であり、自分のした働きや労働が、それ相当の評価と見合った代価を受けなければ、憤る、あるいは怒ることを示されたのです。

    「ご覧下さい。私たちは、」

     まさに、自分中心です。そうではなく、主イエス様が、父なる神様と夜通し話され、十二使徒と言う光栄の立場に選び、任命して下さったのです。恵みによってです。創造主なる神様が選んで下さったのです。
     シモン・ペテロたち十二使徒は、確かに主イエスに従って来ました。しかし、それは当然の事なのです。なぜなら主イエスこそ、「すべての人の主」なるお方であるからです。私たちも日々、主イエスの十字架を見上げつつ、従って行こうでは、ありませんか。》

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