◎本日の聖書箇所【使徒の働き12章1節~5節】(新約p.257下段左側)
12:1 そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人たちを苦しめようとしてその手を伸ばし、
12:2 ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。
12:3 それがユダヤ人に喜ばれたのを見て、さらにペテロも捕らえにかかった。それは、種なしパンの祭りの時期であった。
12:4 ヘロデはペテロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越の祭りの後に、彼を民衆の前に引き出すつもりでいたのである。
12:5 こうしてペテロは牢に閉じ込められていたが、教会は彼のために、熱心な祈りを神にささげていた。
◎メッセージ【ヤコブの殉教とペテロの監禁】
《今週から使徒の働きも12章に入ります。ところで11章の最後には、世界的規模の大飢饉の預言とその成就が書き記されています。本日の聖書箇所も「そのころ」から始まっていますが、実は、11章最後と12章最後の記事との間に、ルカが挿入した「使徒ヤコブの殉教とペテロの監禁と奇跡的な解放劇」の記事は、前後が逆転しており、少なくとも4年以上も前の出来事になります。一つ考えられます事は、コルネリウスの救いの出来事の後のペテロの動向を、あえてここに挿入したと言うことです。
よって、「そのころ」とは、バルナバがアンティオキアに遣わされたころ、あるいはその前後のことになるかと思われます。ここに登場しますヘロデ王とは、ヘロデ大王の孫で、ヘロデ・アンティパスの甥っ子、ヘロデ・アグリッパを指します。
ヘロデ・アグリッパは、カリグラが紀元37年にローマ皇帝に即位した時に、ピリポとルサニアの領土を与えられ、紀元39年にヘロデ・アンティパスの死によって、その所領を受け継ぎ、さらにクラウディオが紀元41年にローマ皇帝に即位した時に、ユダヤとサマリアも与えられ、事実上ユダヤ全土の支配者になりました。まさに、彼はローマ皇帝から愛され信頼されていたことが分かります。彼は、生まれてからずっとローマに住んで教育を受けており、彼としては懸命にユダヤ人民衆の人気を獲得することを常に心掛けていたと言われています。
さて、エルサレムに在住するユダヤ人は、特にパリサイ人や祭司を含む最高議会は、エルサレム教会とそこに留まっている使徒たちに対して、強い反感を抱いていました。その事を、ヘロデ・アグリッパは見逃すはずはありませんでした。
ヘロデ・アグリッパの迫害の最初の犠牲者は、使徒ヤコブです。ルカは、詳細については書き記していませんが、「ヨハネの兄弟ヤコブ」とあえて書き、エルサレム教会初代牧師であった「主の兄弟ヤコブ」と区別しています。実は、これは主の預言の成就でもあります。主イエスが、三回目の受難予告をされた時、母マリアの実の妹で主取っては叔母にあたるサロメが、ヤコブとヨハネを連れて、願い出たことがありました。
「何を願うのですか」
「私のこの二人の息子があなたの御国で、一人はあなたの右に、一人は左に座れるように、お言葉を下さい。」
「あなたがたは自分が何を求めているのか分かっていません。私が飲もうとしている杯を飲むことができますか。」
「できます」
「あなたがたは私の杯を飲むことになります。しかし、私の右と左に座ることは、私が許すことではありません。私の父によって備えられた人たちに与えられるのです。」
これこそが、預言の成就につながります。またヨハネも、晩年にパトモス島に流され、非常に苦しみながら、最後の生き証人として信徒を教え導き続けるのです。
さて、使徒ヤコブの死は、多くのユダヤ人たちに、歓迎され喜ばれました。その事によって気を良くしたヘロデ・アグリッパは、教会の指導者であるシモン・ペテロを捕らえることに成功します。しかもそれは「種なしパンの祭」すなわち、「過越の祭」の前でもあったのです。
もちろん、裁判に引き出し、主イエスと同じように、ユダヤ人たちに「十字架につけろ」と叫ばせる為です。そして、エルサレムに、過越の巡礼の為にやって来た、世界中のユダヤ人の面前で、ゴルゴタの丘に、シモン・ペテロの十字架を掲げる為にです。ヘロデ・アグリッパは、ペテロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させました。これは、主イエスの墓で起こった出来事を知っていたからです。この時には、ローマ兵が四人見張りに着きました。
こうしてシモン・ペテロは牢に閉じ込められていましたが、エルサレム教会は彼のために、熱心な祈りを神様に捧げていました。しかし、彼は奇跡的に御使いによって救い出されます。 それは、主イエスこそが、ご自身を信じ従う者のいのちを握っておられることを、また、教会の熱心な祈りは、必ず聞き届けられことを、私たちに教えているのです。》