• 2021年9月26日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き12章4節~12節】(新約p.258上段右側)
    12:4 ヘロデはペテロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越の祭りの後に、彼を民衆の前に引き出すつもりでいたのである。
    12:5 こうしてペテロは牢に閉じ込められていたが、教会は彼のために、熱心な祈りを神にささげていた。
    12:6 ヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれて、二人の兵士の間で眠っていた。戸口では番兵たちが牢を監視していた。
    12:7 すると見よ。主の使いがそばに立ち、牢の中を光が照らした。御使いはペテロの脇腹を突いて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。
    12:8 御使いは彼に言った。「帯を締めて、履き物をはきなさい。」ペテロがそのとおりにすると、御使いはまた言った。「上着を着て、私について来なさい。」
    12:9 そこでペテロは外に出て、御使いについて行った。彼には御使いがしていることが現実とは思えず、幻を見ているのだと思っていた。
    12:10 彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた。彼らは外に出て、一つの通りを進んで行った。すると、すぐに御使いは彼から離れた。
    12:11 そのとき、ペテロは我に返って言った。「今、本当のことが分かった。主が御使いを遣わして、ヘロデの手から、またユダヤの民のすべてのもくろみから、私を救い出してくださったのだ。」
    12:12 それが分かったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリアの家に行った。そこには多くの人々が集まって、祈っていた。

    ◎メッセージ【シモン・ペテロの解放】
    《今日は先週の続きとなります。
     さて、ヤコブの死をユダヤ人たちが喜んでことを知って、ユダヤの王ヘロデ・アグリッパは、ついに使徒の指導者シモン・ペテロをも捕らえることに成功します。実は、ペテロが牢に入れられるのは、三回目となります。一回目はペテロとヨハネの二人だけでした。そして二回目は、使徒全員が捕らえられ、牢に入れられます。それは、エルサレム教会が出来て3・4年後の頃の出来事です。この時は、御使いによって奇跡的に全員が救い出されます。
    『そこで、大祭司とその仲間たち、すなわちサドカイ派の者たちはみな、ねたみに燃えて立ち上がり、使徒たちに手をかけて捕らえ、彼らを公の留置場に入れた。ところが、夜、主の使いが牢の戸を開け、彼らを連れ出し、「行って宮の中に立ち、人々にこのいのちの言葉をすべて語りなさい」と言った。彼らはこれを聞くと、夜明けごろ宮に入って教え始めた。』
     この時、使徒全員が御使いによる奇跡的解放劇を体験したのです。
     アグリッパは、最高議会から使徒全員が、突然牢獄からいなくなってしまったこと、また主イエスが葬られた墓において、見張りのローマ兵に起こった出来事を、知っていたと思われます。しかし、「ナザレのイエス」と同じように、ペテロを十字架につけて、ユダヤ人の好意をさらに得ようとしたわけです。
     その為には、何としても「過越の祭」の始まる直前まで、ペテロを確実に捕らえておく必要がありました。それゆえ四人一組の兵士四組を配置につけたのです。しかし、御使いによって、見事にペテロは、牢獄のある建物から外に脱出することが出来ました。御使いが離れた時に、彼は夢ではなく現実であることに気づきます。
     そして、教会に向かいます。そこは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリアの家のことで、そこには多くの人々が集まって、祈り続けていました。実はこの家こそ、主イエスと共に「最後の晩餐」を行なった場所でもあるのです。また主イエスの昇天の後に、オリーブ山から戻った来た場所もこの家なのです。主イエスは、エルサレム教会の場所を、十字架にかけられる前に、すでの弟子たちに用意しておられたと言うわけです。
    『彼らは町に入ると、泊まっている屋上の部屋に上がった。この人たちは、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。彼らはみな、女たちとイエスの母マリア、およびイエスの兄弟たちと共に、いつも心を一つにして祈っていた。』
     教会は「祈りの家」です。ペテロが奇跡的に救出された事は、まさしく教会に集う弟子たちが熱心に祈った結果でもあるのです。なぜなら、主イエスを信じ従う者には、主の御名によって祈ることが出来る、特権と恵みが与えられているからです。使徒パウロは勧めます。
    「あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。」と。
     神様には神様のご計画があります。御心と御旨があります。しかし、教会や信徒の熱心な祈りによって、神様はご計画や御心を変えられることがあるのです。それだからこそ、教会は熱心に心を一つにして、祈らなければならないのです。祈り続けなければならないのです。》

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