• 日々のみ言葉 2021年9月30日(木)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2021年9月30日(木)

    ◎聖書箇所【マタイの福音書20章29節~34節】
    20:29 彼らがエリコを出て行くと、大ぜいの群衆がイエスについて行った。
    20:30 すると、道ばたにすわっていた二人の盲人が、イエスが通られると聞いて、叫んで言った。「主よ。私たちをあわれんで下さい。ダビデの子よ。」
    20:31 そこで、群衆は彼らを黙らせようとして、たしなめたが、彼らはますます、「主よ。私たちをあわれんで下さい。ダビデの子よ。」と叫び立てた。
    20:32 すると、イエスは立ち止まって、彼らを呼んで言われた。「私に何をしてほしいのか。」
    20:33 彼らはイエスに言った。「主よ。この目をあけていただきたいのです。」
    20:34 イエスはかわいそうに思って、彼らの目にさわられた。すると、すぐさま彼らは見えるようになり、イエスについて行った。

    ◎ショートメッセージ
    《昨日と同じ箇所からとなります。今日はルカの福音書の並行記事を掲載します。

     ルカの福音書によりますと、
    『イエスがエリコに近づかれた頃、ある盲人が、道ばたにすわり、物ごいをしていた。群衆が通って行くのを耳にして、これはいったい何事ですか、と尋ねた。ナザレのイエスがお通りになるのだ、と知らせると、彼は大声で、
    「ダビデの子のイエス様。私をあわれんで下さい。」と言った。
     彼を黙らせようとして、先頭にいた人々がたしなめたが、盲人は、ますます「ダビデの子よ。私をあわれんで下さい。」と叫び立てた。イエスは立ち止まって、彼をそばに連れて来るように言いつけられた。彼が近寄って来たので、
    「私に何をしてほしいのか。」と尋ねられると、彼は、
    「主よ。目が見えるようになることです。」と言った。イエスが彼に、
    「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです。」と言われると、彼はたちどころに目が見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。これを見て民はみな神を賛美した。(ルカの福音書18:35~18:43)』

     マタイでは、「二人の盲人」となっていますが、マルコとルカの福音書では、「盲人」となっており単数形が使われています。また、マタイとマルコの福音書では、エリコから出て来た時にこの事件が起こりますが、ルカでは、主イエスの一行がエリコに入る前に、すなわち近づいた時に、この事件が起こることになっています。

     さて、ここから学ぶことは、バルテマイが叫び続けたことです。もし彼があきらめていたとしたら、彼の目はいやされなかったに違いありません。先頭にいた弟子たちは、彼をだまらせようとしましたが、益々バルテマイは叫び続けたのです。この信仰を主イエスはご覧になられたのです。

    「あの人を呼んで来なさい。」
    「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている。」
    「私に何をしてほしいのか。」
    「主よ。目が見えるようになることです。」
     主イエスは、彼が何をしてほしいのか、十分わかっています。それでもあえて尋ねられたのです。このように、主イエスに何をしてほしいのか、具体的に、私たちは明らかにしなければなりません。ただ、「私を哀れんで下さい」では、分からないのです。私たちは、案外と漠然な祈りをしたりしてはいないでしょうか。それですと、祈りが成就した時に、本人には、分からない場合があるからなのです。》

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