• 2021年12月5日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【使徒の働き13章44節~52節】(新約p.262上段左側)
    13:44 次の安息日には、ほぼ町中の人々が、主の言葉を聞くために集まって来た。
    13:45 しかし、この群衆を見たユダヤ人たちはねたみに燃え、パウロが語ることに反対し、口汚くののしった。
    13:46 そこで、パウロとバルナバは大胆に語った。「神の言葉は、まずあなたがたに語られなければなりませんでした。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠の命にふさわしくない者にしています。ですから、見なさい、私たちはこれから異邦人たちの方に向かいます。
    13:47 主が私たちに、こう命じておられるからです。『私はあなたを異邦人の光とし、地の果てにまで救いをもたらす者とする。』」
    13:48 異邦人たちはこれを聞いて喜び、主の言葉を賛美した。そして、永遠の命にあずかるように定められていた人たちはみな、信仰に入った。
    13:49 こうして主の言葉は、この地方全体に広まった。
    13:50 ところが、ユダヤ人たちは、神を敬う貴婦人たちや町のおもだった人たちを扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、二人をその地方から追い出した。
    13:51 二人は彼らに対して足のちりを払い落として、イコニオンに行った。
    13:52 弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。

    ◎メッセージ【リバイバルと迫害】
    《パウロとバルナバが、ピシディアのアンティオキアにやって来て、最初に行なったのは、安息日におけるユダヤ人会堂での礼拝に参加することでした。その時、会堂管理人が、二人に奨励の言葉を勧めたのです。すると、パウロは立ち上がって、主イエスの福音を語ります。 そのメッセージは、その場にいた正統的なユダヤ人を始め、ディアスポラや異邦人の改宗者たちの心を打ったのです。それが一週間前の出来事でした。
     ルカは、次の安息日までの一週間のことについては割愛していますが、おそらく二人が留まっていた宿もしくは家に、毎日、多くのユダヤ人や改宗者たちがやって来て、主イエスの言葉を聞き、信じて救われ、二人からバプテスマを授けられたことは間違いないことです。 さて、次の安息日のことです。何と会堂には、ほぼ町中の人々が、主の言葉を聞くために集まって来ました。
     その時、主の教えに感動していたユダヤ人たちの態度が、ガラッと変わったのです。そして、パウロが語るメッセージに対し、反対し口汚くののしったのです。その理由をルカは、「ねたみに燃えて」と、明確に書き記しています。
     彼らは、ほぼ町中の人々が集まって来たことを目にしました。異邦人たちが、パウロの語る主イエスの教えを求めてやって来たのです。この時、ユダヤ人の選民意識、また異邦人に対する蔑視感情が明らかにされたのです。
     この安息日までの一週間に、パウロとバルナバは、尋ねて来た彼らに「恵みに留まるよう」勧めました。恵みに留まることとは、主イエスを信じる信仰に留まることであり、主イエスの語られたみ言葉に留まることなのです。すべては「恵み」なのです。主イエスの名以外に、救いの御名は用意されていません。主イエスの十字架こそが、救いの中心なのです。
     しかし、それを打ち壊す思いもあるのです。それが「ねたみ」です。ユダヤ人たちは、自分たちこそが神に選ばれた者であって、異邦人に、同じ救いが与えられることに、憤慨したのです。そこでパウロとバルナバは彼らに強く語ります。
    『「あなたがたは、神の言葉を拒んで、自分自身を永遠の命にふさわしくない者にしています。ですから、見なさい、私たちはこれから異邦人たちの方に向かいます。」』と。
     異邦人たちは、この言葉を聞いて喜び、主を賛美します。ここにリバイバルが訪れたのです。そのリバイバルは、ユダヤ人ではなく、改宗者と異邦人に起こされたのです。そして、永遠の命に定められていた人々はみな、主イエスの信仰に入りました。
     ここに二つの立場が存在します。
     一つは、恵みによって、主イエスの救いの教えを聞き、バプテスマを受けながらも、その恵みを拒み、自分自身から永遠の命にふさわしくない者となったユダヤ人たち。
     そしてもう一つは、恵みによって、主イエスの信仰に入り、永遠の命にあずかる者となった異邦人たち。その分かれ目とは何だったのでしょうか。それが「恵みに留まる」ことなのです。私たちも、恵みに留まることを忘れてはなりません。
     その後、ユダヤ人たちは、ねたみと怒りを持って、パウロとバルナバを迫害します。彼らは、神を敬う貴婦人たちや町の指導者たちを扇動して、二人を町から追い出します。二人は、かつて主イエスが弟子たちに教えられたとおりに、足のチリを払い落として行くのです。》

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