◇◆◇日々のみ言葉
2021年12月18日(土)
◎聖書箇所【マタイの福音書25章41節~46節】
25:41「それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。私から離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。
25:42 おまえたちは、私が空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、
25:43 私が旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』
25:44 そのとき、彼らも答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹であり、渇き、旅をし、裸であり、病気をし、牢におられるのを見て、お世話をしなかったのでしょうか。』
25:45 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、私にしなかったのです。』
25:46 こうして、この人たちは永遠の刑罰にはいり、正しい人たちは永遠のいのちにはいるのです。」
◎ショートメッセージ
《引き続き、「羊と山羊」のたとえから学んで行きます。
ここで「王」と言われているのは、主イエスご自身のことです。主こそ、「王の王」「主の主」なるお方です。
王は、左側にいる「山羊」に言います。
「のろわれた者ども。私から離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。」
もし、この言葉を、教会に、またクリスチャンに言われたとしたら、どう思いますか。カトリック教会は、多くの社会的施しを実行して来ました。その根底にあるのは、この主イエスの「羊と山羊」のたとえからなのです。
私は、カトリック教会が今まで為し得て来た、様々な慈善事業は、尊くまた素晴らしいものであると確信します。この主の教えがあったからこそ、世界に多くの病院や学校や孤児院が建設されたからです。
「小さい者」への施し、何と素晴らしいことでしょうか。実際問題として、日本の敗戦後、すなわち戦後において、戦争孤児の面倒を見たのは、マキシミリアン・コルベ神父が設立した「無原罪の聖母の騎士会」と、その修道院に属するゼノ神父であったのです。これは真実です。
さて、人が救われることは、まさしく最大の奇跡です。それは、一方的な神様の哀れみであり、また恵みなのです。そこには、その人が成すべき行ないは必要ありません。
自分の罪を悔い改め、主イエス・キリストを救い主として心から信じ受け入れ、口で「イエス・キリストは私の主です」と告白することによって、罪赦され、神の子どもとされるのです。そして、永遠の命をいただけるのです。
「羊と山羊」のたとえを、私たち救われた者に適応するとするならば、救い主・主イエスに感謝を捧げる意味においても、慈善活動や奉仕をすることであると思います。
たとえ、それがどんな小さなことであったとしても、主の御名によって行なう、様々な働きを主は喜んで下さると信じています。》