• 日々のみ言葉 2015年7月6日(月)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年7月6日(月)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書1章35節】
    1:35 さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。

    ◎ショートメッセージ

    《主イエスは、カペナウムにあるシモンとアンデレの家に泊まられた。その時、シモンのしゅうとめの熱病をいやされた。31節に、「イエスは、彼女に近寄り、その手を取って起こされた。すると熱がひき、彼女は彼らをもてなした。」と書かれている。実はこの「もてなした」という言葉は、原語のギリシャ語では、未完了形が使用されていて、この意味は厳格に言うと、「もてなし続けた」ということである。主イエスが、シモンとアンデレの家に来た時には、いつでも、いかなる時もシモンのしゅうとめが、主イエスと弟子たちの面倒を喜んで見続けたとも言える。女性の弟子第一号の誕生である。
     そして、日が沈み、町中の人々が、多くの病人と悪霊に憑かれた人を連れて来て、主は多くの人をいやし、また悪霊から解放させた。ユダヤの暦は、日没から新しい一日が始まる。その日の朝早く、まだ暗いうちに主イエスは起きられたのである。弟子たちも、シモンの家に寝泊まりしていたと思われるが、もしかしたら主イエスは、別の部屋に一人で寝られたのかも知れない。あるいは、弟子たちは、夜遅くまで主の癒しと解放のミニストリーの手伝いをして、疲れ切ってしまい、主イエスと同じ部屋で寝たのであるが、ぐっすると寝込んでしまったのかも知れない。彼らには、主イエスが朝早くまだ暗いうちに起きて、部屋から出て行ったことが分からなかったとも言える。とにかく主は、ひとりで寂しい所へ出て行かれたのである。そして「そこで祈っておられた。」というのである。神の御子が、祈っておられた。ということは、「祈り」がどれほど貴重であるのかを、私たちに指し示しているとも言える。それでは、主は誰に何を祈っておられたのであろうか。それは「父なる神」である「天のお父様」にである。そればかりではない。第三位格の聖霊様と、父なる神と交わっておられたのである。その日において、主イエスは誰を癒やすのか、またどんな働きをするのか、どんな奇跡やしるしと不思議を行なうのか、また何を人々に語るのか、それらのことを相談され、話し合われたのである。私たちの主イエスが、祈りの人であるならば、私たち主イエスの後に付く者たち、クリスチャンは、同じように「祈りの人」になる必要がある。「寂しい所」とは、一人で静まる所である。私たちも、この騒がしい日常生活に中において、神様から、いのちとエネルギーをもらい「証人」として歩む為には、このようにひとり静まる時を持つ必要がある。それも毎日。しかも早朝にである。アシュラム運動の創設者である榎本保朗先生は、毎朝行なわれる「早天祈祷会」に文字通り命をかけられたのである。三度の食事の中でも、最も大切な食事は、朝食である。私たちは霊的存在である。私たちの霊も食物が必要なのだ。それは「み言葉」、そして「祈り」である。》

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