◇◆◇日々のみ言葉
2015年7月7日(火)
◎聖書箇所 【マルコの福音書1章36節~39節】
1:36 シモンとその仲間は、イエスをを追って来て、
1:37 彼を見つけ、「みんながあなたを捜しております。」と言った。
1:38 イエスは彼らに言われた。「さあ、近くの別の村里へ行こう。そこにも福音を知らせよう。わたしは、そのために出て来たのだから。」
1:39 こうしてイエスは、ガリラヤ全地にわたり、その会堂に行って、福音を告げ知らせ、悪霊を追い出された。
◎ショートメッセージ
《主イエスは、カペナウムのシモンとアンデレの家を拠点として、ガリラヤ伝道を開始された。弟子たちが目覚めると、主イエスのお姿が見えないことに気づいた。その時、もうすでに主イエスの評判を聞いて、人々がシモンの家の戸口に押しかけて来ていたようである。それゆえ弟子たちは慌てて、四方八方主イエスを探したのである。主イエスは寂しい所で、ひとりで祈っておられた。ようやく弟子たちは主イエスを見つけ出してこう言った。「みんながあなたを捜しております。」すると主イエスは、「さあ、近くの別の村里へ行こう。そこにも福音を知らせよう。私は、そのために出て来たのだから。」と言われたのである。朝早く主イエスは、一人でシモンの家を出られ、寂しい所に行かれた。とすれば、まだ朝食を取っていないことは明白である。また主イエスを探し回った弟子たちは、大きな迷惑を被ったという所だろうか。当然彼らも朝食を取ってはいない。「主イエス様がおられない。どこへ行かれたのだろうか。それでは我々は朝食でもゆっくり食べて、それから探そうではないか。」と、言うような悠長なことではなかったはずである。しかも、汗だくでようやく主イエスを見つけたと思ったら、「さあ別の村へ行こう」である。「ちょっと待って下さいよ。イエス様。まずは、家に戻って、朝のパンとミルクでも食べてから行きましょうや。腹が減っては戦はできませんよ。」と言いたい所である。私なら、間違いなく文句が出ていると思う。
さて、この後、主イエスと弟子たちは、シモンの家に戻ったかどうかは、マルコは書き記してはいない。『こうしてイエスは、ガリラヤ全地にわたり、その会堂に行って、福音を告げ知らせ、悪霊を追い出された。』と、締めくくっているだけである。主イエスは、ご自身に与えられた時間を知っていた。「メシヤ」として、「救い主」として、「いやし主」として、この世において働くことのできる時間が限られていることを知っていた。それゆえ、あえて弟子たちをシモンの家からおびき出して、別の会堂に向かったのではないだろうか。もちろん主イエスも弟子たちも、生身の人間であるゆえ、肉の糧や水(飲み物)は必要である。行く先々で、それは用意されていたと私は確信する。なぜなら、主は弟子たちにこう教えられたからである。
『そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。』(マタイ6:31~6:34)
私たちは、この主イエス様の言葉を、真剣に信じているだろうか。神を第一とした者には、天のお父様がすべてを与えてくださることを。また私たちには、どれくらい時間が残されているのだろうか。主がご再臨される時までに。まだ日本の多くの人々が救われてはいないのに。》