◇◆◇日々のみ言葉
2015年7月8日(水)
◎聖書箇所 【マルコの福音書1章40節~42節】
1:40 さて、ひとりのらい病人が、イエスのみもとにお願いに来て、ひざまずいて言った。「お心一つで、私はきよくしていただけます。」
1:41 イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」
1:42 すると、すぐに、そのらい病が消えて、その人はきよくなった。
◎ショートメッセージ
《「めぐみイエス・キリスト教会」では、今現在でも、新改訳聖書第2版を使用している。新改訳聖書第3版では、「らい病」ではなく「ツァラアト」という言葉が使われている。これはヘブル語である。ギリシャ原語では、「レプロス」であり、英語では、ギリシャ語から派生した「レプラ」となる。この病名はハンセン病を指している。しかし、当時のユダヤ社会においては、必ずしもハンセン病に限定していたわけではなく、かなり目立つ皮膚病に対して、その言葉を用いていたようである。尾山令仁師の現代訳聖書においては、また新共同訳聖書においても「重い皮膚病」と訳している。口語訳聖書も「重い皮膚病」と改訂したようである。これは、現在におけるハンセン病の患者の方々への配慮である。しかし新改訳聖書第3版においては、翻訳する言葉が見つからないことを理由として、ヘブル語をそのまま用いたことは、あまり感心はできない。なぜなら初めて聖書を読む人にとっては、全く意味が分からないからである。ぜひとも「重い皮膚病」に統一してほしいものである。さて、ひとりのらい病(重い皮膚病)にかかった人が、主イエスのみもとに来たとある。本来ならば、律法に従って「私は汚れている。汚れている。」と言わなくてはならないのだが、この重い皮膚病にかかった人は、おそらく言わずに、つまり律法に反して、主イエスのみもとに近づいて来たと思われる。でなければ、弟子たちが近づけようとはしなかったはずである。彼は主イエスのみもとにひざまずいた。これは、まさしく彼の信仰を表わしている。「お心一つで、私はきよくしていただけます。」この言葉に、彼の主イエスに対する深い信仰が、私たちにも伝わって来る。その時、主イエスは、ユダヤ人ならば絶対にしないことをされたのである。この行為も、律法に反するものであった。主イエスは、手を伸ばして彼にさわられたのだ。そして言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」と。しかも主イエスは深く哀れまれたと言う。主イエスは、救い主であられ、癒やし主であられる。主の御心は、癒やすことにある。癒やされることにある。すると、すぐに、そのらい病(重い皮膚病)が消えて、その人はきよくなった。彼は、その病の為に、ユダヤ人社会からは追放されていた。おそらく家族からも見放され、同じ病を煩う人々と共に暮らしていたのであろう。主イエスによって癒やされた彼は、祭司に見せ、試しの期間が終了し、「あなたはきよめられた」と宣言を受けることによって、ユダヤ人社会にも、家族の中にも戻ることが許されるのである。何という恵みであろうか。主イエスは、今も哀れまれ、恵みを与えようとなされる。奇跡・しるし・不思議は終わってはいない。今も主イエスは、聖霊なるお方によって、それを成し続けておられる。使徒の働きの時代は、まだ続いているのである。》