• 日々のみ言葉 2015年7月9日(木)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年7月9日(木)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書1章43節~45節】

    1:43 そこでイエスは、彼をきびしく戒めて、すぐに彼を立ち去らせた。
    1:44 そのとき彼にこう言われた。「気をつけて、だれにも何も言わないようにしなさい。ただ行って、自分を祭司に見せなさい。そして、人々へのあかしのために、モーセが命じた物をもって、あなたのきよめの供え物をしなさい。」
    1:45 ところが、彼は出て行って、この出来事をふれ回り、言い広め始めた。そのためイエスは表立って町の中にはいることができず、町はずれの寂しい所におられた。しかし、人々は、あらゆる所からイエスのもとにやって来た。

    ◎ショートメッセージ

    《『さて、ひとりのらい病人(重い皮膚病を患った人)が、イエスのみもとにお願いに来て、ひざまずいて言った。「お心一つで、私はきよくしていただけます。」イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。「わたしの心だ。きよくなれ。」すると、すぐに、そのらい病(重い皮膚病)が消えて、その人はきよくなった。』
     その続きである。主イエスは、「いやされた男を厳しく戒めた」とある。どういうことか。「気をつけて、誰にも何も言わないようにしなさい。ただ行って、自分を祭司に見せなさい。そして、人々へのあかしのために、モーセが命じた物をもって、あなたのきよめの供え物をしなさい。」と言われたのである。ここで主は、3つの命令をされた。
     その一「誰にも何も言ってはならない」
     その二「自分を祭司に見せよ」
     その三「人々へのあかしのために。モーセが命じた捧げ物をせよ」
     主イエスは、彼が、いやされた喜びにあふれて、人々にふれ回りたいという気持ちを知っておられた。しかし主はあえて、それを禁じられたのである。律法に従って、祭司に見せること。そして感謝の捧げ物をせよということである。レビ記13章には、祭司による「けがれの宣言」について書かれており、レビ記14章には、祭司による「きよめの宣言」について書かれている。その手順を踏みなさいということである。主イエスは、決して律法を放棄する為に来られたのではない。主イエスは律法を成就される為に来られた。主イエスだけが律法を守られたのである。律法は、私たちに「罪」を教える。そして私たちが、決して守れないことを突きつける。罪を犯されなかった、ただ唯一の方、主イエス。それゆえ私たちの罪の身代わりとして、十字架に架かられたのである。しかし、いやされた男は、主に従わなかった。『ところが、彼は出て行って、この出来事をふれ回り、言い広め始めた。そのためイエスは表立って町の中にはいることができず、町はずれの寂しい所におられた。』大切なことは、主に従うことである。主を第一とすることである。もし彼が、主に従っていたとしたら、祭司に見せていたとしたら。間違いなく、主は町の中に入って、多くの奇跡を行なわれたに違いない。多くの人々の病を癒やし、悪霊を追い出したに違いない。自分の感情にまかせて、彼がふれ回ってしまったことは、結局、主イエスのミニストリーを妨害してしまったのである。黙っていることに時があり、話すことに時がある。主のみわざには時があるのだ。主に従うことこそが、主イエスが、神様が喜んでくださることなのである。私やあなたは、いつも主に従って歩んでいるだろうか。最後の士師サムエルは言う。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪に勝る」と。》

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