◇◆◇日々のみ言葉
2015年7月10日(金)
◎聖書箇所 【マルコの福音書2章1節~2節】
2:1 数日たって、イエスがカペナウムにまた来られると、家におられることが知れ渡った。
2:2 それで多くの人が集まったため、戸口のところまですきまもないほどになった。この人たちに、イエスはみことばを話しておられた。
◎ショートメッセージ
《主は、ガリラヤの他の町に弟子たちと共に福音を宣べ伝えに行かれた。そして、またカペナウムに戻って来られた。そして家におられたと言うのであるが、この家が誰の家であるのか、マルコははっきりと書き記してはいないが、シモンとアンデレの家であることは、ほぼ間違いない。シモンのしゅうとめや妻が、喜んで主イエスをお迎えし、もてなす姿、そして食卓において、シモン・ペテロが、主イエスがガリラヤの他の町で行なわれた数々の奇跡やいやしを得意げに語り、その側で微笑みながらパンを食べられておられる主イエスの姿が目に浮かぶようである。その頃には、もう主イエスの評判は、ガリラヤ中に広まっており、うわさを聞いた人々が、夜が明けてから、駆けつけて来たと言うところか。何と戸口の所まで隙間もないほどになってしまった。と言うことは、すでに部屋の中は満員状態であったということだ。もちろん主イエスの御側には、人々がこれ以上近づかないように、弟子たちがしっかりとガードしていたと思われる。主イエスはみ言葉を話しておられた。では一体何を、主は話されたのであろうか。尾山令仁師は、著書「マルコの福音書講解」において、「悔い改めなさい。御国が近づいたから。」ということについて話されたと書かれている。ともあれ主イエスは、「み言葉」を語っておられた。そして、多くの人々は、そのみ言葉に聞き入っていたに違いない。当然、当時にはマイクなどの拡声装置は存在するはずもなく、ご自身の持つ声のみで、語られたのである。主イエスの声は、遠くまで響き渡る声であったに違いないと思うのは、私だけであろうか。では、なぜ主の話を聞こうとして、これほど多くの人々が集まって来たのだろうか。もちろん病の癒やしや、解放の奇跡を聞いて、野次馬根性で来た人々もいたであろう。またマルコは、そこに律法学者が数人同席していたことを書き記している。彼らは、おそらくユダヤ最高議会「サンヘドリン」から遣わされた者たちで、主イエスに敵対する者である。しかしその他の多くの人々は、純粋に主イエスの「力ある教え」を聞きに来たのではないだろうか。主の語るみ言葉に、神の権威を感じたのである。私たちも、シモンとアンデレの家に集まって来た人々のように、主イエスの語られたみ言葉に、聞き入る時をいつも心がけているであろうか。物見遊山的な野次馬根性で、あるいは敵対して、つまり不従順の気持ちを抱いて「み言葉」に「聖書」に接していないであろうか。今一度、自分の心深くに、問うて見たいものである。「主よ。しもべはここにおります。どうぞお語り下さい。」》