◇◆◇日々のみ言葉
2021年12月30日(木)
◎聖書箇所【マタイの福音書26章20節~25節】
26:20 さて、夕方になって、イエスは十二弟子と一緒に食卓に着かれた。
26:21 みなが食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちひとりが、私を裏切ります。」
26:22 すると、弟子たちは非常に悲しんで、「主よ。まさか私のことではないでしょう。」とかわるがわるイエスに言った。
26:23 イエスは答えて言われた。「私と一緒に鉢に手を浸した者が、私を裏切るのです。
26:24 確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はのろわれます。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」
26:25 すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが答えて言った。「先生。まさか私のことではないでしょう。」イエスは彼に、「いや、そうだ。」と言われた。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。
「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちひとりが、私を裏切ります。」
この言葉を聞いた十二使徒たちは、本当に驚いたと思います。主は「あなたがたのうちひとりが」と言われたのですが、実はゲッセマネの園において、イスカリオテのユダだけでなく、皆が主イエスを置いて逃げてしまうのです。その意味において、十二使徒たちが、かわるがわるに、「主よ。まさか私のことではないでしょう。」と言ったわけです。この告白の言葉の中に、実は誰であっても、いざとなったら主イエスを裏切る可能性があることが分かります。
主イエスは、「私を裏切ります」と言われました。非常に大切な真理があります。主は「私を裏切った」と過去形では言われていないことです。
主イエスは真の人間であられましたが、と同時に真の神様でも、あられました。よって誰が裏切り、また30シェケル銀貨を受け取ったのか、すべてをすでにご存知であられたのです。
それにもかかわらず主は、
「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちひとりが、私を裏切ります。」と言われたのです。ここに神の愛が現わされているのです。まだイスカリオテのユダには、立ち返るチャンスが与えられています。この時こそが、彼への悔い改めを促す最初の機会をお与えになられたわけです。
そして最後の機会こそ、ゲッセマネの園における「友よ。何の為に来たのですか。」と言われる時になります。
「私と一緒に鉢に手を浸した者が、私を裏切るのです。確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はのろわれます。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」
この時、他の弟子たちの見ている前で、イスカリオテのユダはパン切れを浸します。しかし、彼らの目は閉ざされていて、何のことだか、細目見当がつかなかったのです。》